「一般的な銀行」とは裁量の大きさも企業風土も異なる。謎に包まれた金融機関「日本政策投資銀行」の熱い思い #01

はじめに

今回は政府系金融機関として始まり、2008年に株式会社化され現在も日本への貢献を理念に掲げる日本政策投資銀行(以下DBJ)の社員の方にインタビューを実施し、日本政策投資銀行での働く魅力や実態について伺いました。

インタビューをお引き受けくださったのは、航空機ファイナンスなど先進的なファイナンス業務を経験された後、現在人事部に所属している一色健氏です。

前編では、DBJの社風や働き方の特徴、民営化の影響についてお伺いします。

どうぞご覧ください。

description

DBJは少数精鋭

―本日はよろしくお願いします。はじめにご経歴を伺ってもよろしいですか?

私は2002年に日本政策投資銀行に入行し、1年目は主に運輸セクターを担当する交通・生活部(現企業金融第4部)という部署に所属しました。2年目に仙台にある東北支店に異動し、約40社の企業に対する投融資を担当させていただきました。

5年目に本店へ戻り、総務部(現経営企画部)に所属しましたが、この頃はDBJが民営化する直前の時期であったため、中央官庁とDBJの組織に関する議論や社内調整など民営化にむけた準備の仕事を担当していました。

その後は都市開発部で大手民鉄の投融資を担当し、10年目には社費で留学しケンブリッジ大学でMBAを取得しました。

11年目になり企業金融4部へ異動し、航空のセクションで海外の顧客を担当しグローバルにファイナンス業務に従事していました。DBJが有している航空業界の知見を活かしてグローバルに業務を行うべく私が異動する1年前に立ち上がったチームの一員として、世界中を飛び回りながら仕事をしていました。現在は人事部に所属しています。

―DBJ入行の決め手は何だったのでしょうか。

私が就職活動を行っていた時期(2000年初頭)はいわゆる「就職氷河期」だったので、1つに絞らず様々な業界を見ていました。複数の企業からオファーをいただきましたが総合的に見てDBJが自分とマッチした、というのが当時の経緯です。

―具体的にどのような要素で判断されたのですか?

当時私が重視していたのは仕事に公共性があるのか、ということです。どんな仕事をやっても辛いときや大変なことは必ず訪れる。そのときに私自身のモチベーションとなるのは「社会貢献している実感」だと思ったんです。

その意味でDBJは政府系の金融機関として、公的な側面を重視しながら各種プロジェクトを支援していく組織で、自分の志向にあっていると思いました。

またそれとは別に、採用人数の少ない企業に就職したいと考えていました。その方が、成長の機会が大きいのではないか、また人財に投資をしてくれるのではないかと考えました。だから知名度や規模は然程気にしていませんでした。

個人の裁量の大きさと社会的意義を大切にする企業風土

―多面的に企業を見られていたんですね。その上で入行されたわけですが、入行前後で何かギャップはありましたか?

良い意味でのギャップが2つありましたね。1つは私の想像以上に若手行員の裁量が大きかったことです。

入行後1年間はOJTも含め研修期間の位置づけであり、先輩社員のサポートを通じ銀行業務の基礎を学びますが、2年目になると一担当者して顧客を担当することができます。また、私は1年目の終わりには10数億円規模の融資を経験する等、若手でも裁量をもって業務ができる会社だと思います。

もう1つは入行前の想像以上に社会的な意義を大切に仕事をしていることです。営業でノルマ達成を厳しく求めるようなことはありませんが、かわりに社会・経済、産業、地域、企業等のために何ができるのかを徹底的に議論して業務を行う。 このあたりはDBJが自社の経済的利益を追求するだけの組織ではないことに起因していると思います。

―「一般的な銀行」とは異なる組織だったのですね。2年目で異動された東北支店とそれまでの本店で働き方や業務に違いはありましたか?

まず一番の違いとして、個人の裁量が本店よりも大きくなりました。東北支店における総合職は20人程度。この人数で東北のクライアントすべてをカバーしています。裁量を持たざるを得ない環境ですね。

また地方ではお取引先企業の部長や社長とダイレクトに対話できるので企業や経営者と直接対話する良い経験を積むことができました。若くしてこのような経験が出来るのはDBJならではだと思います。

民営化で変わったものと変わらなかったもの

―その後は本社の経営企画部で民営化の準備をしていた、ということでしたが。

その時期の経営企画部は民営化に向けて主務省である財務省と連携し日本政策投資銀行法の内容を検討していました。この法律次第でDBJの今後の方向性が決まる、という重要な業務の一翼を担っていました。

また行内においても民営化後の方針について調整をしました。民営化し、収益性も意識する組織へと変革する必要がありました。

―変革、ということについて詳しくお聞きしてもよろしいですか。

文化や風土という面では特別な変化はなかったと思います。しかし、先ほど言ったように公共性だけではなく収益性をそれまで以上に意識して取り組むという変化はありました。そういう意味では業務がより一層チャレンジングなものになりましたね。

ただここで勘違いしてほしくないのは、収益性を求めることによって公共性を放棄することはなかった、ということです。

―民営化しても理念は変わらなかった、ということですね。

そうですね。収益性と公共性を両立していく、その難しいテーマに取り組むことがDBJの仕事のおもしろさ、やりがいだと思っています。組織の理念は一貫していると考えています。

おわりに

いかがでしたでしょうか。

今回は一色氏の経歴を追いながら、DBJの特徴についてお話し頂きました。

DBJの業務のスケールの大きさや民営化を経ても「公共性」を重視していることを実感できたのではないでしょうか。

次回はその「公共性」が具体的にはどのように業務に反映されているのか、プロジェクトの例やキャリア採用のあり方を踏まえながら語って頂いています。

ぜひご覧下さい。

後編はこちら

一色健(いっしき・たける)

2002年、DBJへ入行。企業金融第4部へ配属。
2003年、DBJ東北支店へ異動。
2006年、本店の経営企画部へ異動。
2008年、都市開発部へ異動。
2011年、イギリスの大学へ社費留学。
2012年、日本へ帰国し、企業金融第4部へ異動。
2018年現在、人事部に所属。

このコラムに関連した人気エージェントはこちら
date_range 2018-04-01

会員登録のお願い

限定募集情報に応募するためには、会員登録の後プロフィールを入力いただく必要があります。

追加記入のお願い

限定募集情報に応募するためには、追加でプロフィールを入力いただく必要があります。

プロフィールを入力
審査をお待ち下さい

現在、ご入力いただいたプロフィールを審査しております。申し訳ございませんが今しばらくお待ち下さい。