はじめに
今回、お話頂いたのは、株式会社レゾナンス代表 前田 恵一氏。
東京大学大学院情報理工学系研究科卒業後、2005年、IBMビジネスコンサルティングサービスに入社。2008年、野村證券株式会社に転職し2010年ヴァイスプレジデントに昇格。2011年レゾナンス起業。
現在は、人材エージェントとして幅広い案件を手がけると共に、学生・社会人向けにビジネス知識を教える前田塾を開き、人材のキャリア形成にも取り組んでいます。
本コラムは3部作となっており、1作目である今回は前田氏の経歴を中心に、新卒で日本IBMに入り野村證券に転職、その後起業するまでの流れをプライベートなエピソードと共にお話いただきました。
ぜひご覧ください。
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新卒では日本IBMに入社、コンサルより開発の道を選ぶ
―本日はよろしくお願いします。前田さんは新卒では日本IBMに入社されています。就職活動の際は、コンサルティングファームを中心に見ていたのですか?
いえ、コンサルティング業界に特化して選考に進んでいたわけではありません。ただ、在学していた際に音声認識や暗号理論のレクチャーを受けており、それらの特許技術の多くがIBMによって採用されているものが多かったのでIBMには元々興味を持っていたんですよね。講義中にIBMという単語を何度も聞いているうちに、いつしかIBMが私にとっての憧れとなっていました。
加えて私は理系の大学院に在学していたものの、研究職の道を考えていなかったので、実務的な仕事がしたいと考えていました。その時に日本IBMがビジネスコンサルティングの領域も担っていると伺ったので、魅力的な環境に見えたのです。
―自分の研究内容も生かせるし、ビジネスも学べるということですね。
そうですね。気持ち的には一社一択でした。
―日本IBM入社後はどのような業務を担当されていたのでしょうか?
入社直後はITエンジニアとして勤務していました。具体的には、JAVAやSAPシステム言語であるABAPを扱いながら、設計書の作成やプログラミング、テスト仕様書を作成しテストを行い、顧客に納品する仕事を行っていました。
―入社直後はコンサルタントではなく、エンジニアとしてキャリアを歩まれていたのですね。
そうですね。実は入社した頃(2005年)、社内の風潮では、ITエンジニアよりコンサルタントとしてのキャリアを選ぶ人の数が多かったです。
しかし私は将来的にプログラミングを学ぶ必要があると思っていたため、1年目はコンサルタントとしてのキャリアより、ITエンジニアとして開発力をつけていくキャリアをスタートしました。
―その後もエンジニアとして勤務されていたのでしょうか。
いえ、ITエンジニアとして勤務していたのは、約1年ほどです。
2006年から、社内の方針としてエンジニアリング人材を育成することになり、社内の人材教育や新人教育としてエンジニアリングを教えるプロジェクトが立ち上がりました。
2年目の私は新人教育のトレーナーに選ばれ、8ヶ月程新人向けにエンジニアリングに会計の素養も含めたレクチャーを作成したり、人材育成を行っていました。そのため、エンジニアというよりも人事の仕事に近い業務を行っていたように感じます。
―ITエンジニアとして勤務後、人材の育成に携わることになったのですね。
そうですね。2年目には社内の研修を担当していました。
その後3年目の前半で現場に戻り、エンジニアとして食品メーカーの物流と会計のデータ移行プロジェクトを行ったり、ITコンサルタントとしてSAPシステムの導入支援など、製造業、化粧品会社、食品メーカー、大手メーカーなどの業務改善を行っていましたね。
―現場に戻った後は、エンジニアとしての知識を活かしながらITコンサルタントとしても勤務されていたのですね。
ITコンサルタントとして会計や物流の片鱗をかじったことで、後半から担当領域を拡大していきました。具体的にはテスト担当や売掛金の担当をしていきました。
こうして3年間業務改善や人材研修、会計業務、実務の早期化を通して土日も含め月に400時間働いていたと思います。
日本IBMを3年で辞職、野村證券でトレーダーに転職
―日本IBMに入社されてから3年後、野村證券へ転職されています。転職に至った経緯を教えて頂けますか?