「私はこうして同じ戦略コンサルに2度入社した」-。トヨタ、2度のA.T.カーニーなど事業会社とコンサルを行き来するクラウドワークス執行役員・田中優子氏に聞く
2019/07/17
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新卒でトヨタ自動車に入社し、以後A.T.カーニー→ジュピターショップチャンネル→A.T.カーニー→現職と、これまでに計4回転職したクラウドワークス執行役員の田中優子さん。メーカー、コンサル、小売、ITベンチャーと異業種を渡り歩き、また1コンサル企業に2度入社するなど、ユニークな経歴を持っています。今回は事業会社からコンサル企業に移った際の苦労、“出戻り”の経緯、また母として仕事と家庭をどう両立しているかなどを聞きました。

〈Profile〉
田中 優子(たなか・ゆうこ)株式会社クラウドワークス執行役員
東京大学法学部卒業。トヨタ自動車株式会社で新型車の市場導入、需給計画・販売戦略策定、ジュピターショップチャンネル株式会社で経営企画、事業開発などを経験。
A.T.カーニー株式会社で大手企業向けに全社戦略、事業戦略、新規事業開発、組織再編など多岐にわたるプロジェクトに従事。2011年7月より消費財・小売プラクティスのマネージャーを務める。
2014年4月、クラウドワークスに参画、執行役員として現在はコーポレートガバナンスを中心に管理部門を担当する。1児の母。

トヨタを数年で退職、コンサル転職で味わった苦労

――計4度転職していますが、印象的だったのはどの転職ですか。

一番怖かったのは新卒で約4年勤めたトヨタを出てA.T.カーニーに入る時ですね。最初の転職でしたし、言うまでもなくトヨタは日本で最も安定した会社の一つです。そこを出ることは「これからの人生は自分で責任を持たないといけない」といった緊張感を伴うものでした。

きっかけは、転職エージェントで友人の高野秀敏さん(キープレイヤーズ代表)の薦めです。その頃コンサルの方なんて接したこともなかったですし、「虚業なのでは?」なんて疑念もあったので即答しなかったのですが、「ずっとトヨタで良いのか」という思いもありました。特に当時、車内に情報端末を標準搭載する新しい製品のマーケティングに携わり、トヨタといえども過去の成功体験が役に立たないどころか足かせになることを実感していたので、大企業1社の限界を悟り始めていました。

また、会社の成功体験を否定する上で上司にロジカルに説明する力が私に足りていない、とも感じ出していました。最終的に「3年間だけ修行だと思えばいい」という高野さんの言葉に乗り、チャレンジを決めました。

――事業会社からコンサルへの転職でギャップなどはありましたか。

シニアビジネスアナリストとして入ったのですが、初めは苦労しましたね。リサーチや議事録作成に携わるのですが、例えばトヨタ時代はパワーポイントなんて全く使わなかったですし、周りは頭が良く、パワポやエクセルが上手で、かつ体力もある人たちばかりの世界です。まさに修行の日々でした。

また、トヨタでの経験があったので当初自動車関連の案件を中心に任せられたのですが、それまでと違う仕事をしたいと思っていたので希望には合っていませんでした。仕事に慣れるのは大変だしやりたいこともできず、悩んだものです。

大事なのは誰と仕事をするか

転機は入社から半年くらいのことです。悩みを当時社内事情に通じていたある人に話したところ、「(成長し活躍するには)誰と仕事をするかが大事だよ」と言われ、「今なら梅ちゃんだな」と当時パートナーになったばかりだった梅澤高明さん(現A.T.カーニー日本法人会長)の名を教えてもらいました。

梅澤さんはその頃、主に消費財やサービスの分野でクライアント開拓に力を入れていました。たまたま社内の懇親の場で同じテーブルになることがあったので、「一緒に仕事をしたいです!」と思い切って頼んでみたら、「今度声を掛ける」と答えてもらえました。

そして、ある教育系サービスのクライアントからの新規受注をお手伝いして以来、さまざまなプロジェクトを共にすることになりました。梅澤さんは“正拳突き”とも言えるほど正面からロジカルに案件に向かう人です。音楽活動もしていていただけに“感性の人”でもあるはずなのですが、仕事は極めてロジカルでしたね。

――どんなことを学びましたか。

コンサルではセルフブランディングが大事ということです。他業界から入ってエクセルなどのスキルで勝負しても仕方がありません。

私にとってメーカーにいた、しかもトヨタにいたというのは一つのブランドになりました。約4年しかいませんでしたが、「トヨタはこうだった」といった話などでなるべくバリューを出せるよう強く意識するようになりました。コンサルは、それが必要な世界です。

100人以上コンサルタントがいるファームの中で、1つのチームに入った時に明確な価値を出せる人になるよう心掛けました。私にとって、それはエクセルワークではありません。

良い意味か悪い意味か分からないのですが、新卒で入ったメンバーに「田中さんはすごい大振りしてホームランも打つし、すごい空振りもするよね」と言われたりしました(笑)。私はそれで良いと思います。コツコツとヒットを打ち続けるやり方もありますが、私の場合は(生産性の面で)“足が遅い”のでヒットだけでは勝てません。 description

マネージャーでA.T.カーニーに再入社

――A.T.カーニーへの2度目の就職はどういう経緯で実現したのでしょうか。

事業会社の経営企画にチャレンジしたくて1度辞めたのですが、「いつでも戻ってきて」みたいな感じだったので連絡は取り続け、梅澤さんをはじめカーニーの方々とは食事などでよく会っていました。私のように戻る人は結構多い会社で、自然に受け入れる雰囲気もあります。戻るの自体はスムーズでしたね。

コンサルは結構向き不向きがあるので人によっては早く辞めてしまいますし、一人前になるにはそこそこ時間がかかります。新しい人を雇うより以前活躍してから辞めた人ならリスクが少ないので、会社も特別な理由がない限り歓迎するのだと思います。

再入社の契機になったのは、その時勤めていたジュピターショップチャンネルで中国企業のDD(デューデリジェンス)に携わったことです。1週間くらい現地に赴きほぼ1人でレポートを作ったのですが、大変だったにもかかわらず凄く面白いと思いました。

考えてみると、コンサル時代によくやっていた類の仕事です。短期集中で凄く疲弊するのですが、ビジネスの本質的構造を考え抜くことは非常に刺激的だと感じました。なんだか懐かしかったですね。

――A.T.カーニーへの再入社はマネージャーとしてでしたね。

マネージャーはプロジェクトの全責任を負うので難易度はそれなりにあります。半年から1年くらいは苦しみました。軌道に乗れたのは、あるDD案件が契機です。2週間くらいのプロジェクトで、短期間に業界研究をして答えを出す必要があったため、キックオフの日に2週間のタスクを全て洗い出すことにトライしました。そのようにスタートして、結果ほとんど無駄なく2週間を乗り切ることができました。「やれる!」と思いましたね。

強いプレッシャーがありつつ、やるべきことが鮮明に見えているとアウトプットの量や質が上がることが分かったため、クライアントとの調整などでそうした状況を努めて作るようになりました。その後、難しいチャレンジに幾度も直面しましたが、納得のいく結果が出るようになりました。「やっぱりコンサルに向いてる」と自信になりましたね。

――コンサルタントの向き不向きとは。

向いているのは、例えばある市場が伸びているという定性的な情報を得た時、「なぜ?」と疑問に感じ根拠を確かめようとする人です。理由を順序だてて整理・考察することに価値を見出せない人には、向いていません。あとは整合性や網羅性を確保することに気持ちよさを感じるか、それとも面倒と感じるかですね。

前者のように向いている人は、大抵物事を無意識に頭の中で整理します。小さいころからそういった癖を持っていた人が多いですね。ある人は子供のころエレベーターに乗ると、「今乗っている人が何階で降りるか」といった場合分けを毎回していたそうです。また、「車のナンバーを見ると必ず四則演算をする」という人もいました。

私の場合は小学校に上がる前、アニメなどの物語を4種類くらいに整理・分類していました。単純な2軸なのですが、1つの軸は毎回完結するか完結せずに話が続くか、2つ目は登場人物の置かれている状況が変化するかしないかです。

例えば「サザエさん」は毎回完結して、タラちゃんはいつまでも3歳です。一方、「アルプスの少女ハイジ」は話がずっと流れていき、クララが立てるようになったりします。この2軸の掛け合わせなら「どんな物語も分類できる!」と思いながら当時アニメを観ていました(笑)。コンサル時代の仲間はこういったエピソードを持っている人が多くて、面白かったですね。

――マネージャーとして軌道に乗り始めてきたところで、今度はベンチャー企業のクラウドワークスに転職しました。

2014年に20番目の社員として入り、IRや広報などに関わってきました。直近ではコーポレートガバナンスの担当として、取締役会などの運営に携わっています。具体的な仕事の1つが、経営判断のためのアジェンダ管理です。意思決定までの道筋を整理する役ですね。

意思決定をサポートするという意味では、コンサルの仕事に似ています。トップが判断材料にする資料の作成など、コンサルタントっぽいことを求められる場面が少なくありません。 description

家事は夫婦で均等分担

――プライベートでは1児の母と聞いています。仕事と家庭の両立は大変ではないのでしょうか。

実際に結婚し、子どもができてからは大変だと感じたことはほとんどありません。むしろ独身の頃、学生の頃の方が不安でしたが、やってみるとどうということはありませんでした。ひとえに、夫のお陰ですね。家事・育児は、ほぼ半分ずつの割合で分担しています。配偶者選びがどれほど大事かを思い知りました。

結婚前にはそれほど意識していませんでしたが、仕事の選択よりこちらの方が100倍重要です。世の中はどんどん変化していくので、不安が先行し過ぎて何かする前に自分で自分の選択を狭めてしまうことの方が、「仕事と家庭の両立」を損なう要因になりかねないと思います。

――育児で心掛けていることはどんなことですか。

夫はもちろん、自分の親、夫の親、親戚、保育園、みんなで育てる意識を持つことです。また、公営民営問わず、使えるサービスは何でも遠慮なく使います。そうすれば、全てを自分がやらなければならないという呪縛から解放されます。

それから、時間を効率的に使うことも大切です。例えば、通勤時間を最小にするため夫も私も職場までドアtoドアで30分以内の場所に住んでいます。保育園の迎えは毎日19時過ぎですが、子どもの寝る時間を確保するために夕食は保育園で食べさせてもらい、お風呂は朝夫に入れてもらいます。子どもが寝る前には2人とも帰宅し、片方が寝かしつける間にもう片方が夕食を作り、子どもが寝てから2人で食べます。

とはいえ、子どもはまだ3歳前なので、小学生くらいになると別の難しさが出てくるのだとは思います。

◆田中氏のキャリアの変遷

1999年(23歳)東京大学法学部卒、トヨタ自動車入社
2003年(27歳) A.T.カーニーに入社
2006年(30歳)ジュピターショップチャンネルに入社
2011年(36歳) A.T.カーニーにマネージャーとして再入社
2014年(38歳)クラウドワークスに入社、執行役員に就任
2015年(40歳)結婚
2016年(41歳)出産

――女性のキャリアについて、参考にした人はいますか。

自分より上の年代で、今より制度も社会の理解も追いつかない中、働き続けるという選択をした女性に対しては常に学ぶものがあります。例えば母は1952年生まれで公務員でしたが、3人の子供を育てながら働き続けました。私を産んだときには育休制度もなく、産後2カ月で職場復帰したそうです。

義母も義祖母もいる環境で、家族のサポートなしでは不可能だったとは思いますが、その時代にどうしても働き続けたいと意思を貫いたことはすごいと思います。

また、トヨタで私のアシスタントになっていただいた女性は私より10歳ほど年上の一般職の方でしたが、当時部署で初めて結婚後も正社員で仕事を続けた方でした。

結婚すると言ったら、上司から「旦那さんがかわいそうだ」と退職を勧められ、とても悔しい思いをしたと仰っていました。それでも彼女は仕事を続けて、今度は部署で初めて出産後も復帰して働き続ける女性になりました。

私が思うことは、多くの先人となる女性が様々な現実的課題にぶつかっても、どんな社会的圧力を受けようとも、「自分の力で生きていきたい」「自信をもってキャリアを築きたい」「自分らしく働きたい」という気持ちに素直にチャレンジし続けた結果として、今の社会があるということです。

かつて仕事と結婚と子育ての全てで喜びを得たいなんて「わがまま」と言われたものが、もはや個人の「わがまま」ではなく、社会課題になっているのは、最初はわがままと言われながらでも、それを求めた人がいたからだと思います。

今、困難だと感じることも、10年後にはどうということのない問題になっているくらい、社会はもっと変化するかもしれません。そのためには、簡単にあきらめない強い意志が必要だし、もっと自分が働きやすいように、生きやすいように、社会や会社や家族に要求してよいのだと思います。そうすることによってしか世の中は変わらないと思うからです。 description

コラム作成者
Liiga編集部
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