「本当にやりたいことってなんだっけ?」もがきながら掴み取ったPEファンドでの課題発見の日々。外資系バンカーの転職・起業物語 #02
2016/04/07
#ファンド勤務のプライベートを覗く #ファンドにつながるキャリア #投資銀行から広がるキャリア

Liigaを運営する株式会社ハウテレビジョン代表の音成洋介が、新卒外銀時代から、PEファンドへ転職し起業に至るまでの日々を、数回にわたって語ります。第二部となる今回は、投資銀行からPEファンドに転職し、起業を考え始めるまでのお話です。

「こんな提案書、見てられるか!」新卒外銀での過酷な日々|外資系バンカーの転職・起業物語 #01

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「ここには自分の居場所がないのかもしれない…」視野が狭まっていたあの頃

バークレイズでは上司が何人かいて、尊敬できる人も、あれって思う人もいました。 後者ではIBD(投資銀行部門)だというのに19:00に帰宅していて(IBDジュニアは午前3-4時まで働くのがデフォルト)、午前中はずっと新聞を読む。同期は2人しかいませんでしたが、彼とその人をバカにしていたりしました。今考えてみると、カバレッジ担当でしたので「どの業界を攻めるべきか」「どのように攻めるべきか」彼なりに考えている作業だったのです。徹底したExcelワーカーだった私は、作業のできない人=仕事ができないと決めつけていました。

いったん視野が狭まってしまうと、「ここには自分の居場所がないのかもしれない」と思うようになります。アナリスト研修として、ロンドンに世界中のアナリストが集結し、2ヶ月金利・クレジット・デリバティブなどの講習を受けるグローバルトレーニングがあるのですが、その出発直前に尊敬できる上司・先輩が急遽退職。これにかなりショックを受け、新しく格付会社から入ってきた30歳VicePresidentに飲み会でひたすら愚痴ることに。

ロンドン研修では現地人や帰国子女との圧倒的英語力差を感じたりして、新たな壁にぶちあたりながら、「自分が本当にやりたいことってなんだったっけ」と改めて思い悩むようになります。東京に帰ってきて、スワップ取引・某ノンバンク向け国内債オリジネーション・ラブホテルの証券化(笑)まで、それなりに面白いディールにも絡ませていただきましたが、結果的に入社1年弱でバークレイズを離れることになりました。

バークレイズが環境としてよくなかったかというと、それは違うと思います。同期はいまでもけっこう残っていて、偉くなって活躍しています。当時自分の中で、「俺はもっとできるはず」「尊敬できる上司がいなくなって目標どうしよう」「M&Aやりたい」といった感情が交錯していました。

環境のせいにして努力しないのは、経営する立場になってみると「あかんやつ」と思います。どんな仕事においても意味を見出し、それを自分ゴトとして昇華して、誰よりも負けないように努力する。これが本当のあるべき姿です。

しかし自分の精神的にはもう限界でした。友人経由で同業他社を紹介してもらったり、エージェントに会いに行くなど、入社1年目の年明け早々に転職活動を開始することになります。

しかし1年未満はろくなキャリアを積んだとみなされません。。。当時同業IBDかPEファンドに行くことを考えていたのですが、後者は特に厳しく、謝絶のところも多かったです。なかなか紹介してくれないエージェントに対し苛立ちを覚え、「これはエージェントに任せてはおけない!」と強く思うようになり、各社コーポレートページにあったメールアドレスに自分のレジュメをどんどん送りました。

すると当時拡大基調にあったPEファンド、アドバンテッジパートナーズ担当者の目にとまり、面接のチャンスをいただきます。なんとなく僕について大きな勘違いでもあったのか、かなりウェルカムモードで面談は進み、無事内定を獲得。エージェント経由で受けた2社はダメでした。

学生時代にPEファンドに行きたかったという思いが、こんなに早く実るとは思わず、最高に嬉しかったのを覚えています。その後入社してからは数々の地獄をみることになるのですが...

様々なプロフェッショナルとの協力。PEファンド時代の課題発見の日々

コラム作成者
Liiga編集部
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