はじめに
外資系投資銀行や外資系の事業会社の人事責任者として長年活躍し、現在はジブラルタ生命の執行役員である中島豊氏に、MBA留学や外資系企業への転職等、ご自身の経験についてお話を伺いました。前回は、「人事目線」からの職務経歴書の書き方について語っていただきました。
中島豊氏の職務経歴書に関するコラムはこちら:外資系企業人事部長が語る面接官の印象を左右する職務経歴書の書き方(英語/日本語)
中島豊氏プロフィール 1984年に東京大学法学部を卒業後、富士通に入社し、一貫して人事を担当。 富士通在籍中にMBA留学(ミシガン大学)。 その後、リーバイ・ストラウス ジャパン、ゼネラルモーターズ・ジャパン、楽天、ギャップジャパン、シティグループ証券と外資系を中心に、人事の要職を歴任。 現在は、ジブラルタ生命の執行役員を務める。
富士通に就職。待っていたのは、まさかの工場勤務人事
-中島さんが東大法学部から、富士通をファーストキャリアとして選んだのはなぜでしょう。
当時、東大法学部からは金融機関に就職する学生が多く、官僚志望が減少していました。「就職」ではなく、いわゆる「就社」を考えている人たちばかりで、つぶれない会社に入ることが就職活動の目的となっていました。学生の多くは、長期信用銀行や日本興業銀行は消えるはずがないと考えていました。しかし、金融機関に入った多くの学生は、ご存知の通り、その後の合併や倒産の荒波に飲まれていきました。
また、当時は、「Japan as NO.1」の時代でメーカーも人気でした。私自身は、大型のコンピュータ産業が成長していたことから富士通に興味を持ち、入社をしました。
-新卒入社から今に至るまでずっと人事職でいらっしゃいますが、最初から希望していたのでしょうか?
全く希望していなかったですね。海外営業を希望していたので、営業の配属になるだろうと思っていました。しかし、研修後に配属されたのがまさかの人事。しかも工場の人事だったため、スーツではなく、工場用の服装での勤務でした。ちなみに当時、共に人事に配属されたのが、複数のJリーグクラブやサッカー日本代表のコーチとして有名な大木武氏でした。
-人事に配属されてみて、実際どうでしたか。
「この物珍しい仕事をずっとやっていくのか……」というネガティブな気持ちがありました。電卓で一人一人の勤怠管理を計算するような細かい作業が多かったです。本社の人事でなく工場だったこともあり、ごく限られた人としかコミュニケーションをとらず、情報も入ってこなかったので非常に閉じた世界にいました。そこで、2年目あたりから英語を勉強し始め、社外でも通用するスキルを磨きはじめました。
-他部署への異動や転職は考えていなかったのでしょうか?
当時はまだ、他部署へ異動する制度がなく、人事部だったら基本的に人事内でのローテーションでした。また、当時は中途採用マーケットも流動的でなかったので、すぐ辞めてしまうと落第点のラベルを張られてしまう時代でした。そのため最低でも10年は勤めなければいけないという考えが主流でした。
-その後、社費でMBA留学をされていますが、どうして留学を決意したのでしょうか?
入社3年目以降は本社に移動し、研修を設計する部門にいました。当時、富士通は45歳の社員全てに管理職研修を行うという先進的な取り組みをしていました。45歳になった管理職が全員、3ヶ月間は通常業務から離れて研修を受けるのです。これは、管理職自身のトレーニング効果はもちろんのこと、彼らがいなくなることによって年次が下の人たちが穴埋めをしないといけなくなるので若手が自動的に育たざるを得ない仕掛けで、管理職、非管理職のどちらにも有効な機会となっていました。人事として、こういった機会を提供する立場にありました。
この管理職研修には、慶應ビジネスクールの教授陣が教えに来ており、私はそこでビジネスケースというものに初めて触れたのです。当時、研修に来ていた先生の一人から「これからの時代はMBAが必要になる。ビジネススクールに行きなさい」とアドバイスをいただきました。もともと英語を勉強していたこともあって、行ける可能性もあると思い、MBAの勉強をはじめました。
-当時は多くの社員をMBAに送り出してくれる環境だったのでしょうか?
実は、MBAを取ろうと手を挙げる社員もあまりおらず、社内公募に通ったとしてもMBA試験に受かる人が少なかったです。特に英語の部分が足かせとなり、必要な点数がとれない状況でした。
私は、留学をしたことがなかったので死にもの狂いで英語を勉強しました。受験勉強をはじめてから残業時間が減って、確か65時間くらいになったのですが、その時に「残業65時間は少ないのではないか?他の仕事を手伝いたまえ」と言われ残業がそれなりにありましたが、予備校にいってなんとか勉強時間を確保しました。その結果、ミシガン大学とウォートン・スクール(ペンシルベニア大学)に合格しました。
-MBAランキングでミシガン大学は上位に入っていますが、同じくウォートンも名門として名高いです。なぜミシガン大学を選択したのでしょうか?
私は人事の仕事しかしていなかったんですね。先のMBAを薦めてくれた恩師に相談したところ、これからはアメリカの人事を知らないと話にならないから、人事の勉強ができるミシガン大学に行った方がいいというアドバイスを受けました。そこで、私は人事を専門としたキャリアを歩もうと決めました。
-MBAは実際どうでしたでしょうか?
とにかく多様性があるという印象で、日本で常識だと思っていたことが覆される日々でした。アメリカってすごいなと率直に感じました。幼稚に見えることも一生懸命やることでイノベーションへとつながっていくので勉強になり、知識が身に付きました。
-印象に残った授業はありましたか?
Creativityという授業が印象に残っています。ブレインストーミングのやり方を習いました。「今日はマッサージ行ってこい」「今日は牧師と歌を歌おう」みたいな突飛なことを言われるのですが、そこで何かアイデアが思いついたか?とか言われるんですね。そういったアイデアを考える授業は勉強になりました。
後は、storytellingの授業ですね。世界中で伝わるuniversal languageとして神話があるんですよ。ヒーローがいて、敵がいて、魔法のアイテムがあってといった普遍的構造があって、それは世界各国で共通しています。日本の桃太郎も同じ構造の話だし、ファイナルファンタジーにしても、その構造にのっとっているから世界で受け入れられているわけです。そういったアナロジーについてレポートを書いたら高い評価を受けました。
-MBAを卒業して2年後に転職をされていますが、どういった経緯だったのでしょうか?
留学後は国際人事の担当となり、買収したイギリス企業のPMI(ポストM&Aインテグレーション)を行い、報酬制度等の整備をして日本の取締役会に報告していました。
もともとは転職するつもりもなかったのですが、ヘッドハンターに頼むから会ってくれと言われて会ってみたところ、面白そうだったので転職を検討しはじめました。
その当時は、バブルがはじけた影響で海外事業を縮小していたこともあり、去る者は追わないという方針だったことと、リベラルな新しいやり方を取り入れるタイプの上司から、ドメスティックなタイプの方に変わったことで窮屈な思いもしていたので、転職をしてもいいかなと考え始めました。恩師に相談したら転職を薦められたこともあって、とうとう決意しました。
外資系企業は職務が決まっており、そこに適した人を採用する
-その後は外資系企業で人事としてご活躍されていますがどういったことを学んできたのでしょうか?
人事評価、給与体系の構築からリストラや引っ越しまで、わりと何でもしました。その中でも最初の転職で、外資系の職務評価について学んだことは印象的でした。職務評価とは、職務の内容を相対的に測定する手法です。
日本の人事制度は「人ありき」なところがあって、この人にこういった能力があるから、この仕事を与えようという形になりがちです。一方、外資系では職務があらかじめ決まっていて、そこに対して人を採用する形なので、職務自体のレベル感がわかっていないといけません。そのため職務評価手法が必要となるわけです。
こうしたことを実践的に学べたのはたいへん勉強になりました。また、この時期にグロービス大学院で人事領域の学問について教えてもいました。これはGM(ゼネラルモーターズ)や楽天、GAPのときも続けていました。
-外資系投資銀行であるシティグループ証券でも人事部長をされていますが、事業会社とは異なる点はありましたでしょうか?
投資銀行の世界は、その他の業界とは全く異なりました。まず、働いている社員の性質が全然違います。投資銀行の社員は、一匹オオカミというか個人主義の傾向が強かったです。そのため成長意欲がある方ばかりなのは良いのですが、各人が制度になじんではくれないので、一括での対応は難しく、個別での対応が必要となってきます。特に上のポジションになればなるほど個人対応しなければならず、プロ野球選手のような形で契約を行っていました。日本の企業では適用できる、何歳でグレードがここだから、給料はいくらといったやり方が通用しない世界でした。
また、本社からの指示で人員削減をせざる得ない状況も発生しました。これは他業界ではなかなか経験できないことです。該当者をリストラしていく仕事は精神的に疲労困憊するものでした。
-リストラされた方たちの再就職状況は、いかがでしたか。
再就職支援の会社を斡旋していましたが、ほとんどの方は個人のツテを使ったり自ら応募したりして、再就職先を決めていました。優秀な方ばかりだったためか、再就職にそれほど困っていないのが、せめてもの救いでした。
-退職にあたって、揉めるようなことはありませんでしたか?
退職にあたっての条件、特に金銭的な部分で交渉がもつれることがありました。 より高い金額を引き出すため交渉しようとする人もいましたが、本国と話し合ったうえで決まったルールがあるため、一定の基準に沿った金額で納得してもらうしかありません。強引に交渉し続けることは、あまり好ましくないと思います。
職種によって出世度合は変わる 転職はよく考えるべき
-転職を考えている方、特に外資系への転職を希望されている方にメッセージをお願いします。
職種にもよるので一概には言えませんが、人事部門で日系企業から外資に転職することを考えているのであれば、「よく考えてから行動に移すべき」と言いたいです。
外資系の人事が社長にまで出世することは基本的にありませんし、かつ利益を生み出す部門ではないため、営業部門の方が重視される傾向にあります。一方、日本の人事部は一般的に立場が強く、いわゆる「出世コース」です。
ですので、転職する際はそれなりの決意を持ち、外資に憧れて転職したとしても、思い描いていた通りにはならない場合もある可能性もふまえたうえで、よく考えてから行動していただければと思います。
もし営業部門での転職を検討しているのであれば、社長になることも可能なキャリアですので、外資への転職も良いかもしれません。
Liigaのユーザーは新卒からずっと現在の会社に勤めているという方も多いと聞きましたが、新卒から同じ会社で働き続けているメリットは大きいものです。
いざ会社になにかあった時、新卒からいる人は守られやすい傾向にあります。 中途は戦力と考え、「3年くらい働いてくれたらいいか」程度の気持ちで採用している企業もあるので、会社への愛着度などを考えると、新卒からいる生え抜きの社員が守られるのも納得できます。自分に自信がある方でなければ、安易な転職はお勧めしません。
おわりに
新卒で就職した時点では、専門性も持たなかった中島さんがMBA留学や業務を通じて自らのキャリアを切り開いていく、過程や、外資系特有のカルチャーや制度を感じることができたのではないでしょうか。また、転職については考えてからすべきということを改めて考えさせられました。