MBA留学や外銀のリストラの裏側 外資系企業の人事部長が語る #02

はじめに

外資系投資銀行や外資系の事業会社の人事責任者として長年活躍し、現在はジブラルタ生命の執行役員である中島豊氏に、MBA留学や外資系企業への転職等、ご自身の経験についてお話を伺いました。前回は、「人事目線」からの職務経歴書の書き方について語っていただきました。

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中島豊氏の職務経歴書に関するコラムはこちら:外資系企業人事部長が語る面接官の印象を左右する職務経歴書の書き方(英語/日本語)

中島豊氏プロフィール 1984年に東京大学法学部を卒業後、富士通に入社し、一貫して人事を担当。 富士通在籍中にMBA留学(ミシガン大学)。 その後、リーバイ・ストラウス ジャパン、ゼネラルモーターズ・ジャパン、楽天、ギャップジャパン、シティグループ証券と外資系を中心に、人事の要職を歴任。 現在は、ジブラルタ生命の執行役員を務める。

富士通に就職。待っていたのは、まさかの工場勤務人事

-中島さんが東大法学部から、富士通をファーストキャリアとして選んだのはなぜでしょう。

当時、東大法学部からは金融機関に就職する学生が多く、官僚志望が減少していました。「就職」ではなく、いわゆる「就社」を考えている人たちばかりで、つぶれない会社に入ることが就職活動の目的となっていました。学生の多くは、長期信用銀行や日本興業銀行は消えるはずがないと考えていました。しかし、金融機関に入った多くの学生は、ご存知の通り、その後の合併や倒産の荒波に飲まれていきました。

また、当時は、「Japan as NO.1」の時代でメーカーも人気でした。私自身は、大型のコンピュータ産業が成長していたことから富士通に興味を持ち、入社をしました。

-新卒入社から今に至るまでずっと人事職でいらっしゃいますが、最初から希望していたのでしょうか?

全く希望していなかったですね。海外営業を希望していたので、営業の配属になるだろうと思っていました。しかし、研修後に配属されたのがまさかの人事。しかも工場の人事だったため、スーツではなく、工場用の服装での勤務でした。ちなみに当時、共に人事に配属されたのが、複数のJリーグクラブやサッカー日本代表のコーチとして有名な大木武氏でした。

-人事に配属されてみて、実際どうでしたか。

「この物珍しい仕事をずっとやっていくのか……」というネガティブな気持ちがありました。電卓で一人一人の勤怠管理を計算するような細かい作業が多かったです。本社の人事でなく工場だったこともあり、ごく限られた人としかコミュニケーションをとらず、情報も入ってこなかったので非常に閉じた世界にいました。そこで、2年目あたりから英語を勉強し始め、社外でも通用するスキルを磨きはじめました。

-他部署への異動や転職は考えていなかったのでしょうか?

当時はまだ、他部署へ異動する制度がなく、人事部だったら基本的に人事内でのローテーションでした。また、当時は中途採用マーケットも流動的でなかったので、すぐ辞めてしまうと落第点のラベルを張られてしまう時代でした。そのため最低でも10年は勤めなければいけないという考えが主流でした。

-その後、社費でMBA留学をされていますが、どうして留学を決意したのでしょうか?


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