ハーバードMBA留学記(3):「空気を読む」は的外れ!? 2020年卒業生が現地で得た4つの学び(前編)
2020/08/21
#海外大MBAに行く
#新卒内定者必須コラム

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2020年5月28日。PCのスクリーンの前でスーツを着た私は、そばで支えてくれた妻とともに、学長やゲストスピーカーの話に耳を傾けつつ、名前が呼ばれ自分の画像が映るのを待つ―。

930人の同級生とともに2018年8月末から始まった約1年9カ月のハーバード・ビジネス・スクール(HBS)でのMBA課程が、終わりを告げました。Commencement(卒業式)やDiploma Ceremony(学位授与式)は新型コロナウイルスの影響ですべてオンラインで行われたため、当初期待していた「ガウンを着て帽子を投げる」(ちなみにあのガウンはAcademic Regaliaというらしい)場面は残念ながらありませんでした。それでも、この1年9カ月は、私のこれまでの人生の中でも、「Transformative Experience」(自分に変革をもたらすような経験)と呼ぶにふさわしいものだったと自信を持って言えます。

前々回前回とカリキュラムの特徴や英語との闘いについて書きましたが、今回と次回はもう少し踏み込んで「HBSが教えてくれたものは何か」について振り返ってみたいと思います。1年9カ月の濃い怒涛(どとう)の日々を短く総括するのは非常に難しいですが、それでも、旅を終えたばかりの人間として、HBS、あるいは広くMBA留学とはなんだったのか、「4つの学び」を通して書いてみたいと思いますので、どうかお付き合いください。

〈Profile〉
才木貞治(さいき・さだはる)
京都大学卒。大手広告会社の東京本社に入社後、6年間営業を担当。その後、3年間インド・バンガロールに赴任を経験。2018年8月から2020年5月までHBSに在籍。ソーシャルインパクトとアフリカビジネスに想いを馳せる、おっさん思春期真っ只中の30代。

「自分はやれる」-。逆境の中、“積極的な”自己暗示で生き残る

1つ目の学びは、「自分のポテンシャルを信じて努力をすることが大切」ということです。

前回書いたように、「英語力」と「バックグラウンド」の2つの壁が立ちはだかった私にとって、アカデミック面は非常に苦労しました。

特に1年目のRC(Required Curriculum=必修科目)は日程もかなり過密だったため、朝8時から15時まで授業、その後翌日のケースの予習、夜21時から日本人同級生とのスタディグループ、帰ってきて(たいていまだ読み終わっていないので)予習の続きをやり、終わるのは深夜0時、下手したら翌日の午前2-3時までかかってしまうこともありました。

それに私は英語を読むスピードが遅く、課外活動(4つのクラブ活動に加えて、日本人学生でオーガナイズするツアー「ジャパントレック」の準備)もあったため、削られるのはいつも睡眠時間、という状況でした。

いま思うとこの頃は「高い学費を自腹で払ってわざわざこの歳でビジネススクールに来たのだから、きちんとやらなければいけないんだ」という意地にも似た想いから、無我夢中で日々を過ごしていたように思います。一番大切にしていたのは「自分を自分で過小評価しない。自分のポテンシャルを(半ば強引に)信じる」ということです。

これはもはや祈りにも似た感覚です(笑)。世界中から「秀才・優秀・エリート」と呼ばれてきた人間が集まる中、言語もままならない、初めてアメリカに住む外国人で(おそらく初のアメリカ居住は全学生の10%未満と思われます)、スーパーマイノリティバックグラウンド(広告代理店出身者は930人の中で、結局私を入れて2人しか見つけられませんでした)の私が放り込まれたわけですから、もはや自分が自分を信じてあげない限り、どうしようもないわけです。 description

人は普通、自分より若くて自身にない経験や能力を持つ、尊敬すべき大勢に毎日囲まれると、よっぽどの自信家でもない限り、自分を卑下してしまうものです。加えて私は元々自分に自信を持つのが得意なタイプではなかったため、その負の思考回路に陥りやすく、「英語力も前提知識も足りなすぎて、自分にはそもそも無理だったのだ」とか「そもそもHBSに受かったのは手違いでは」「もう諦めよう」といったネガティブな気持ちが芽生えそうになりました。

しかし、その都度、半ば無理やり「自分はできる。ポテンシャルがある」と言い聞かせ、そばで支えてくれた妻や、日本人スタディグループの仲間、同じセクション(HBSでは90人程度×10セクションに分かれてRC課程を過ごします)の友人たちに励まされて、食らいついていきました。これはいわば「新たに置かれたout of comfort zoneな環境で、どう自分のモチベーションを保つか」という今後の人生のための訓練だったように思います。

そんな訓練の日々を、時に打ちのめされつつもなんとか切り抜けた結果、どういうわけか、1年生でFirst Year Honorsという全学生の上位15-20%がもらえる優秀賞を頂くことができました。このことが、モチベーション維持のためにもはや暗示のように信じ続けた自分のポテンシャルを、少し現実味を持って信じるための“燃料”となり、2年生のEC(Elective Curriculum=選択科目)にも引き続き同じように食らいつくことができました。そしてその結果、奇跡的に2年生もSecond Year Honorsを取れて、2年連続でHonorsを取れた学生に与えられるMBA with Distinctionという学位で卒業するに至りました。

これは全学生930人のうちトップ10-15%以内に入ったということになり、入学当初の境遇から考えると全くもって予期せぬ事態ではありましたが、振り返ればまさに「自分のポテンシャルを強引に信じて、努力をやめない」ことから生まれた正のループの産物といえます。

もちろん、MBAにおいて最も重要なのは成績ではなく「何を学び、それを卒業後の人生でどう生かすか」です。Distinctionを頂けたことで、「どのような環境下でも自分のポテンシャルを信じ、謙虚に努力を続ける」ことがもたらす力を身をもって実感することができたのは、今後の人生に生かせる大きな学びでした。

意気揚々と臨んだイスラエルでのグループワーク。結果は…まさかの最低評価

2つ目の学びは、「『行動』が評価される」ことです。

これはMBAやHBSというよりも、アメリカという国の特質なのかもしれませんが、「行動に移すこと」がいかに大切かが、よく分かりました。「控えめで、慎ましく、空気を読み、調和を重んじる」といった日本人的な美徳が気づかないうちに染みついている場合、「あれ、ここではどうやら機能しないぞ」という感覚になるかもしれません。それを感じることはアカデミックな場面でも、ソーシャルな場面でも、頻繁にあったのですが、特に分かりやすかった事例として、チームワークにおける経験を紹介したいと思います。

HBSは過去の記事でも書いた通り、ファイナンスだろうが会計だろうが、一見非効率とも思える科目まで、もはや意地のように、100%ケースディスカッションというメソッドで教えられています。そう聞くと「HBSはディスカッションばかりしていて、Competitiveでギスギスした場所なのか」と考えてしまう方も多いと思いますが、実は2年生(EC)の時に選択できる授業のいくつかはテストの代わりにチームでのプロジェクトが成績要件となっていたりします。

私は2年生の時、Immersive Field Course(IFC)というコースを受講しました。チームを組んで、学期中に準備を進めつつ、冬休みの2週間を使って実際に外国に赴いてプロジェクトを行う、という実践型授業です。中国でのIFC、キューバでのIFCなどいくつかの国が設定されていましたが、私はテーマが「start-up, venture capital」で自分の興味に近く、まだ行ったことのなかったイスラエルのIFCを選びました。

私のチームは、アメリカ人女子3人と日本人男子(私)の合計4人で、イスラエルのとあるスタートアップに対してコンサルティングを行うことになりました。チームメンバーのバックグラウンドは、コンサル、金融、IT、そして広告代理店の私とバラバラでしたが、イスラエルに行けるという楽しさも相まって、みな意気揚々とプロジェクトに臨んでいました。学期中の準備、そして実際に現地に入ってからも、メンバーそれぞれが同じぐらいの作業量を担いつつ、大変ながらも最終的にはクライアントから感謝され、楽しく充実した経験をして帰国しました。

しかし、数カ月後に成績が発表されてみると、私はその授業でカテゴリー3(相対評価で下位10%が取る成績)という最低評価を得てしまいました。しかもどうやら、Class Participation(授業での発言・貢献度)は評価に一切関係なく、完全にPeer Evaluation、すなわち「他のチームメンバーからの評価」のみで決まった成績だと判明しました。つまり、「私は、その授業を受けていた40-50人程度の学生の中、ダントツでチームメンバーからの評価が悪かった」ということを意味します。 description

“空気を読む”は特殊なバリューの出し方。「日本人らしさ」が評価されない場合

自分としてはサボったという感覚は全くなく、むしろ一生懸命チームに貢献したつもりだったのに、これはどういうことでしょうか。チームメンバーとの関係性も良好だっただけに、彼女たちがなんで私にそんなに低い評価をつけたのか、「自分の認識とのギャップ」にショックを受けました。しかし、これを今後に生かさないわけにはいきません。私なりに分かったことがありました。

それは「“空気を読む”は特殊なバリューの出し方」だということです。

自分の分担となったリサーチ、外部インタビュー、プレゼン作成はしっかりやりましたし、自分のパートがクライアントから特に高評価を頂いたこともありましたが、チームでのディスカッションは正直苦労しました。それは根本的な英語力の問題(ネイティブ同士の議論のスピードについていけるか)に加え、テーマや前提知識の問題(テーマがアメリカ進出サポートだったため、議論の対象はアメリカ特有の法律や社会事情がメインだった)もあって、たまに理解できないことや議論が速いと思うことがあったためです。

そんな時、私は「質問をして流れを止めてしまうよりも、分からなかったところはあとで個人的にキャッチアップする方がチーム全体のアウトプットにとってベターだろう」と思っていました。しかしこのアプローチの欠点は「議論に積極的に加わって自分の意見を言うことや、議論の方向性へのリードを取ることがおのずとできなくなる」ということです。つまり、この「個よりも全体を優先し、空気を読む」アプローチは、チームとしての進みを円滑にするかもしれませんが、他方で自分の「個」としてのバリューは非常に見えづらくなります。

日系企業なら会議で一言も発しない人・発せない人をよく見ると思いますが、そういう人たちは「やるべき仕事はやっているが、私はリーダーでもディシジョンメイクする立場でもないので、会議では邪魔をしないように空気を読んで黙っているんだ」という場合も多いのではないでしょうか。今思い返せば、このイスラエルのプロジェクトでの私も、アメリカ人チームメイト3人を前に英語力や前提知識にハンデを覚えた結果、「やるべき役割分担は別でやっている。ディスカッションは私の出る幕ではない」というスタンスになってしまっていたのかもしれません。

「空気を読む」は、会社や所属、役職やヒエラルキーといったコンテクストがない「完全に平場」の環境の中で、能力や知識にハンデを背負った私がバリューを示す方法としては、全く的外れなアプローチだったのです。

後編に続く)

【「ハーバードMBA留学記」シリーズ】 第1回「世界一ハードな経営幹部養成学校の内幕」
第2回「戦え、『純ジャパ』-。英語とバックグラウンドの高すぎる壁を越えて」

コラム作成者
Liiga編集部
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