「海外の面白いサービスがいつ日本に来るかウオッチしていた」。東大時代から選択肢にあった「第一号」

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特集「『日本第一号』たちの未来志向」の2回目に登場する菊川航希さんは、インドのホテル大手OYOの日本第一号社員だ。菊川さんは東京大学在学中から、将来「第一号」として働くことも選択肢にあったという。卒業後A.T. カーニーで仕事に没頭しながらも、「海外の面白いサービスがいつ日本に来るかウオッチしていた」という彼のキャリア観に迫る。【丸山紀一朗】

〈Profile〉
菊川航希(きくかわ・こうき)
1989年生まれ。大学時代に2社の創業にかかわった後、外資系戦略コンサルティング会社 A.T. カーニーに入社。複数のグローバルプロジェクトに従事した後、シリコンバレーを中心にスタートアップの事業支援や投資に携わる。2018年9月よりOYOに日本人第一号社員として参画し、OYO LIFEの事業開発を統括。開成高校卒、東京大学工学部卒。




 

学生時代に2社の創業にかかわりながらも「ビジネスが全然分からない」と立ち止まる

――15年にA.T. カーニーに入社する前、2社の創業にかかわったのですね。

菊川:はい。2社とも僕は代表ではなく、別に社長がいます。ただ、どちらも代表と一緒に会社を立ち上げる段階からかかわりました。1社はメディア事業の会社、もう1社はホテルや民泊施設運営の会社です。前者は短い期間しかかかわらなかったのですが、後者は約1年間やっていました。

――そのホテルや民泊の会社を続けていく気はなかったのですか。

菊川:初めはそう思っていました。しかし続けるうちに、ビジネスを本気で学びたい、ビジネスのプロフェッショナルになりたい、と考えるようになりました。

なぜかというと、その会社も1年で大きく成長はしたものの、年商1000億円とか1兆円といった規模にまで拡大させる方法について、イメージが全くわかなかったからです。「自分はビジネスのことが全然分かっていないな」と強く感じました。ですから若いうちから大企業の経営陣と話せる、コンサルティングファームに就職したのです。

――経営やビジネスを学ぼうということですね。

菊川:ありきたりな動機ですが、そうですね。あと、当時感じたのは、民泊仲介サイトの「エアビーアンドビー(Airbnb)」や旅行予約サイト「ブッキングドットコム」などのすごさです。個々のホテルや民泊が短期で収益化できるのは、それらのサービスできちんと集客ができるからです。

そうした強いプラットフォームをつくれるような人になりたいと思いました。でもその方法も当時は分からなかったので、そのまま突っ走るよりは一度勉強しようと考えたのです。自分のビジネスパーソンとしてのレベルを若いうちから上げたくて、コンサルを選びました。 description  

周囲の人の起業や事業立ち上げに焦り。「早く自分もやらなくては」

――それで約3年半、A.T. カーニーにいたわけですが、一般的なコンサルタントとしてのキャリアだったのですか。

菊川:後半は少し特殊でした。普通は国内プロジェクトが多いのですが、僕は後半は海外のプロジェクトばかりでした。グローバルチームの中で日本人が僕1人のようなイメージです。また海外に長く滞在する案件や、「世界一周」する必要があるようなプロジェクトもありました。

――そこからどのようにしてOYOの第一号社員につながったのでしょうか。

菊川:海外プロジェクトをやる中で海外支店に行きたいと思い、米国サンフランシスコのオフィスに転籍する予定でした。当時も海外にいたのですが、ビザを取得するプロセスで一度日本に帰国したのですね。それまで忙しく働いていたので、そのタイミングで2カ月ほど休職し、友人や知り合いに数年ぶりに会いました。

すると、皆がいわゆるインターネット業界で自分の会社を立ち上げたり、自ら事業やサービスをつくったりしていることを知りました。「早く自分もやらなくては」と思うと同時に、「自分は何でコンサルとしてサンフランシスコに行くのだっけ」と考えてしまったのです。そこで起業も選択肢に入れつつ、退職することだけは決めました。

――周囲の変化に焦りを感じたのですね。

菊川:はい。その流れで、あまり連絡を取っていない知り合いにも会いに行きました。その中の一人に、学生時代に少しだけお世話になったヤフーの経営層の方がいました。

その方からは、当時ヤフーがソフトバンクと一緒にやっていたプロジェクトの話を聞きました。「ソフトバンク・ビジョン・ファンド」の出資先企業を日本に持ってくるというプロジェクトです。その第1弾が「PayPay」で、第2弾以降も控えているという話でした。

――それがOYOだったのですか。

菊川:まさにその第2弾がOYOでした。

その方とヤフーの人として一緒に事業をする選択肢もあったかもしれませんが、僕は一つの事業を生み出すほうがやりたかった。そういう意味でかなり早いステージからかかわることのできるものを希望していたのですね。OYOは当時日本人が誰もいないということでぴったりでした。

また、僕が以前ホテルや民泊の会社にいたこともマッチして、OYOの関係者を紹介してもらいました。そしてその人に会いに行ってから数日後には実質働き始めていましたね。 description  

「海外のプロダクトを日本で広めるってこんな感じか」。原体験はAirbnb

――早いステージの事業に魅力を感じたのですね。

菊川:次のキャリアを決めていない状態で、実は40社くらいの人と会いました。その中で、例えば100人以上の規模の会社だと新規事業担当や経営管理の部署などに入るという選択肢になる。また社員番号が30~40人目くらいの会社だと、すでに伸びているサービスをより成長させていくという仕事になる。さらに小さな、5人くらいのフェーズの会社もあったのですが、それよりも、「何も定まっていないけれど日本に来ることだけが決まっている」というOYOのほうに目が行きました。「面白そうだから、とりあえずやるわ」みたいな感じでした。

――その時点で第一号社員になることは意識していたのですか。

菊川:いえ、たまたま誰もいなかったという感じです。仮にそのときにすでに2~3人の社員がいても入っていたと思います。でも当時、日本人は本当に誰もいなくて、他国にも一人も在籍していない状態でした。

――学生時代などは、将来日本第一号になるという想定はしていましたか。

菊川:実は想定してないこともなかったです。その原体験もAirbnbが関係しています。

14年くらいに同社が日本に進出してきて、当時僕は大学生でしたが大学時代の先輩と共同で、とりあえず民泊のホストをやってみました。するとみるみる収益が上がったため、Airbnb側と話し合いながら、運営代行サービスの立ち上げなどを検討していました。それが冒頭のホテルや民泊の会社です。その際、Airbnbの関係者らを間近で見て、「海外のプロダクトを日本で広めるのってこんな感じでやるのか」と感じました。

またそれとは別に、大学3年生のときにサンフランシスコに研修へ行った際、シリコンバレーで働く日本人に多く会ったのも印象的でした。TwitterやFacebook、Evernoteなどで働く日本人と話し、その中でいわゆる「カントリーマネージャー」という仕事を初めて知りました。

――学生のうちにそうした仕事の存在を意識していたのですね。

菊川:そうですね。Airbnbにかかわり始めてから「そういうキャリアもあるんだな」と思っていました。ですから、海外の面白いプロダクトやサービスが日本に来るタイミングはけっこうウオッチしていました。働き始めてからも、LinkedInなどにそうした募集が出てこないか探していましたし、人材エージェントからの連絡もチェックしていました。

友人の中にも、海外企業の日本人1人目に近いポジションになった人がいて。他のサービスのカントリーマネージャーとも緩いつながりがあったこともあり、自分にも可能性はあると感じていました。 description  

「第三者」を続けるのは難しかった。自分で事業をやる熱量とは比べ物にならない

――話は戻りますが、最初にOYOの人を紹介してもらってから数日後には働き始めたとのことでした。ためらいは一切なかったですか。

菊川:コンサル時代の上司はインド人が長かったですし、その点は問題ありませんでした。また、第一号だからといっていきなり社長をやるわけでもなく、事業開発を統括するポジションだったことでちゅうちょはありませんでした。

ただ唯一、OYOのビジネスが日本でどこまでうまくいくかという議論はありました。その点はかなりオープンに話し合った結果、ホテルでも民泊でもなく賃貸という新たな領域でチャレンジすることにしたのです。

――そのままコンサルにいればある意味安泰だったかもしれませんが、あえて苦労の多そうなほうを選んだ一番の理由は何ですか。

菊川:自分で事業をつくりたいと思ったからですね。それはやはり、学生のときに事業をやっていた経験が影響しています。当時は暗中模索で必死に事業を伸ばしていましたが、新しいものを自分たちでつくり、自分たちで成長させていくということをもう一度やりたくなったのです。

――それはコンサルにいるとできないことなのでしょうか。

菊川:必ずしもそうではありません。コンサルティングの中でも新商品開発のプロジェクトやクリエーティブな仕事はたくさんあります。企業を数百億円レベルの成長に導く案件が多く、規模も大きいのでやりがいがあります。

しかし、大半のプロジェクトは3カ月間で終わります。企業の困りごとに対してピンポイントで助けに行き、期間内に僕らの手から離れることを目指します。その繰り返しなので、どんなに「自分の会社だ」「自分の商品だ」と一時的には考えるよう努めても、あくまで第三者です。自分で事業をやっていたときの熱量の高さを考えると、僕はコンサルを続けていくのは難しいと思ったのです。 description  

OYOでの日々は「フルマラソンを全力ダッシュし続けている感覚」

――OYOに入社後すぐにやったのはどういう仕事でしたか。

菊川:民泊やホテル、賃貸のいずれにしても、まずは施設が必要でした。そこで、空いている物件を1人で回り、借りるための交渉などをしました。当時は誰も知らないインドの会社で、ヤフーの名前もあるとはいえ公表前の段階です。「本当なのか」と疑いの目を向けられたこともありました。

人材の採用も表立ってはできませんでした。そのため友人らを通じた紹介に頼ったり、LinkedInで会社名は出さず「インドのユニコーン企業」といった表現で候補者に連絡したりしていました。

――その中でやりがいを感じたり楽しかったりしたことは何ですか。

菊川:組織が成長する過程でたくさんの学びがありました。急激な成長に伴う「成長痛」みたいなものもありましたし、いいことばかりではなかったですが、成長自体を楽しめているときもありました。この約2年間、「フルマラソンの距離を全力ダッシュし続けている」ような感覚です。1年が5年に感じるくらい、すごく濃い時間です。たくさん失敗をしましたし、その分だけ強烈な学びもありましたね。

――辞めたいと思ったことはなかったですか。

菊川:思ったことがないといえばうそになりますが、理不尽なことが多少あったくらいでは辞める気はありませんでした。起業したわけではないものの、1人目の社員だからというのもありますし、自分がつくった事業だという感覚が強かったです。ほぼ「起業した」のと同じ感覚でやっていたので、どんなに状況が悪くても辞めようとは考えませんでした。

もし辞めるとすれば、自分が本当に起業してまでつくりたいサービスや、やりたい事業などが見つかったときでしょうか。

泥臭く何でも自分でやる「馬力」は、コンサルで身につく力ではない

――第一号社員に向いているのは、どういうスキルやマインドを持つ人でしょうか。

菊川:日本第一号社員には大きく2つのパターンがあると思っています。ひとつは、大半はこちらなのですが、グローバルなプロダクトを日本にローカライズしていくケース。例えばFacebookやTwitterに代表されるように、基本的なプロダクトはすでに決まっていて、それを現地の法令や規制に沿った形で浸透させていくパターンです。この場合はブランディングやマーケティング、セールスの能力がある人がいいでしょう。

――もうひとつのパターンとは。

菊川:もうひとつは例えばOYOですが、自分たちで本当に新しい事業をつくっていくパターンです。こちらのほうが、テストを繰り返しながらより高速でいろいろなプロセスを回転させていく必要があります。そのため、マーケティングなどというよりはゼロイチで事業を立ち上げる力が求められます。どちらかといえば、こちらのほうが起業に近い感覚ですね。

ただ、両方に共通していえるのは、泥臭い仕事が多いので、そういう仕事も積極的にできる人のほうがいいということです。また、大体の場合、本国の本社や日本国内のパートナー企業などステークホルダーが多いことが想定されるため、そのマネジメントが得意な人のほうがよさそうです。

――その点はコンサルを経験していると磨かれるのでしょうか。

菊川:そうですね。コンサルではプロジェクトを多数経験する中で、ステークホルダーマネジメントには慣れると思います。

一方で、「泥臭くやる力」はあまり学べません。コンサルはむしろ「お行儀よくやる」のが正しいとされます。ですから、例えば国内だけで先に意思決定して後からグローバルの許可を得るといった力技のようなことは忌避されます。第一号社員は、怒られながらでもそうした行動を取ることのできる「馬力」が必要です。もちろん、コンサルの中にもこの能力を持つ人はいますが、それは必ずしもコンサルにいて身につくスキルではありません。


【連載記事一覧】
【特集ページ】「日本第一号」たちの未来志向(全9回)
(1)ゴールドマンもUberも通過点。30代起業家が追い求めるのは、理屈よりも「ワクワク」の直感
(2)「海外の面白いサービスがいつ日本に来るかウオッチしていた」。東大時代から選択肢にあった「第一号」
(3)「Quora日本語版のトップライターになってしまった」。プロダクトへの愛で引き受けた日本第一号
(4)欲しいのは日本事業立ち上げで「何度も成功する自信」。Google卒業後、2度一号社員に挑む男の真意
(5)ヤフー日本法人第一号が繰り返す「興奮」と「飽き」。変わらぬ、事業立ち上げへの強い関心
(6)“無名”のフードデリバリーを支える、Twitter・Apple出身の31歳。大企業では「自分のもたらす影響力」に満足できなかった
(7)大手テレビ局員として抱いた「情報発信という特権」への違和感。TikTokに見出したメディアの未来
(8)自ら売り込んで日本第一号に。ゴールドマン出身の金融マンが燃やし続けた「ものづくり」への執念
(9)【解説】海外企業の見る景色。どこにある? 「日本第一号」になるチャンス


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date_range 2020-10-27

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