「欲しいスキルと年収」に飛びついてしまった。他人との比較ではなく、自分の価値観を見つめよう
2021/01/13
#コンサルを出てやりたいことを見つける
#連載「私はこうして失敗を乗り越えた」

description

連載「私はこうして失敗を乗り越えた」転職編の2回目は、新卒で化学メーカーに入社したのち、外資系コンサルティングファームに転職した藤原翔さん(仮名)に話を聞く。転職後に思いもよらぬ体調不良でキャリアを見直すことになるが、自分の失敗は体調を崩したことではなく転職を決める過程にあったと振り返る。藤原さんは何を“失敗”したのか――。【南部香織】

連載「私はこうして失敗を乗り越えた」記事一覧はこちら


〈Profile〉
藤原翔(仮名)
30代前半。都内の私立大学院を修了後、化学メーカーに勤務。その後、外資系コンサルティングファームに転職し、体調不良をきっかけに退職。現在はスポーツチームの経営に携わっている。


化学メーカーの経営企画で海外企業を買収。しかし経営知識の不足を感じ外資系コンサルへ

――新卒で入社した化学メーカーではどんな仕事をされていたのですか。

藤原:経営企画の仕事をしていました。学生時代は物理系の研究をしていたのですが、当時は経営にも興味があり、メーカーに入社してそういった仕事をすることにしました。修士号を取った段階で就職したのですが、働きながら博士号も取得しました。

――そこからなぜ外資系コンサルティングファームへ。

藤原:化学メーカーでは海外企業を買収して、経営に参画し、事業を成長させるといった仕事をする機会が多くありました。

ですが私は学生時代に研究ばかりしていたので、経営の知識が不足していました。また買収先企業の経営陣にコンサルティングファームや金融の出身者が多く、長い目で見て、コンサルのようなところで経験を積んだほうがいいのではと考えたからです。

もう一つは収入の面です。メーカーはそれほど年収が高くないので、コンサルの高収入に引かれた部分はありました。

――転職はどういうルートで決めたのですか。

藤原:登録していた転職サイトでスカウトしてくれたところに最終的に決めました。他にもいくつかコンサルの選考は進んでいたのですが、初めての転職であまり勝手が分かりませんでした。 description

午前3~4時までの激務。先天的な病気も判明し、長時間勤務ができない体だと分かった

――実際に転職して生活は変わりましたか。

藤原:かなり変わりました。まず、収入の面でいうと前職と比べて、ボーナスも入れるとほぼ2倍になりました。

――働き方の部分もかなり変わりそうです。

藤原:ある程度覚悟はしていたつもりでしたが、こちらもかなり変わりました。前職では午前9時から、午後7時ごろ、遅くても午後9時までには仕事が終わっていました。しかし転職先では、午前9時に出社して、翌日の午前3~4時まで働くことになりました。

これはタイミング悪く、チームの何人かが辞めて人手不足だったことも影響しています。また当時の上司がどんどん仕事を獲得してくる人で、複数プロジェクトに関わっていたことも原因の一つでした。

そうやって働いていくうちに、体調を崩してしまったのです。

――具体的にどういった状態になったのでしょう。

藤原:急におなかが痛くなって病院に行ったら、急性膵炎(すいえん)と診断されて即入院になってしまいました。実はしばらく我慢していたこともあって、周りの臓器にも影響があり「もう少し遅かったら死ぬところだった」と医師に言われたんです。

さらに、入院中の検査の中で、先天的な病気も判明して、自分が長時間勤務は無理な体だということも分かりました。

――そこからすぐに転職を考えたのでしょうか。

藤原:仕事は大変ではあったのですが、メンバーには恵まれていて働きやすさを感じていたので、最初は社内での異動を考えました。ですが、なかなか良いポジションがなく、転職を考えることになりました。

死を意識して、本当にやりたいことをやろうと思った

――そこからスポーツチームの経営企画の仕事に移られたとのことですが、「スポーツ」という点で今までのお仕事とかなり違うように感じられます。

藤原:入院して「死」を意識した時に、「本当にやりたいことをやろう」と思ったのです。私には前からやりたいと思っていたことが2つありまして、1つが「研究」、もう一つが「スポーツに関わる仕事」だったのです。 description

――研究は学生時代からされていることですが、スポーツに関わる仕事はどういった経験からでてきた希望ですか。

藤原:特定のスポーツなのですが、プレーするほうは趣味でやっている程度で、試合を見るのが昔から好きでした。それでいつかは関わってみたいと思っていました。

研究の仕事につくこともかなり真剣に考えたのですが、企業での研究職の経験がないということで、すべての選考に落ちてしまいました。スポーツチームのほうは説明会に行く機会があり、運よく採用してもらうことができました。

――やりたい仕事に就いたわけですが、どんな感想を持ちましたか。

藤原:もう最高です。天職だと感じています。

――どんなところがいいですか。

藤原:一番は、自分の好きな選手や憧れの選手のそばにいられますし、そういう方々と一緒に仕事ができることでしょうか。それから、ニュースになるようなこともありますし、そのチームが根ざしている地域に貢献できたり、行政とのやりとりがあったり、思っていた以上にスケールが大きく、幅広い仕事ができています。

――収入などの点はいかがですか。

藤原:メーカー時代と同じくらいに戻りましたが、スポーツは大会で優勝したりすると、特別ボーナスが出ることもあります。

また、地方のチームなので、東京に比べると相対的に生活費が下がり、特に不自由は感じていません。

――とはいえご家族や友人など、周囲から反対がありそうです。

藤原:意外とポジティブな反応が多く、好意的に受け取ってもらえたと思います。そういった点でも恵まれていたかもしれません。

体調を崩したことは失敗ではない。どんな暮らしをしたいのか、考えればよかった

――藤原さんは、自分の「失敗」はどの部分だったと考えていますか。

藤原:まず私は「激務で体調を崩したこと」が失敗だとは考えていません。本質的に間違っていたのは、自分の価値観で判断せず、他人と比較して、このスキルが足りていないから身につけないといけないとか、年収を高くするのはいいことだという考え方をしてしまったことだと思っています。

自分の本当にやりたいことは何なのかや、どんな暮らしをしたいのかという観点から考えることが大事だったんだと思いますね。

最初に転職を考えたときに、周りに相談をして選択肢を吟味しなかったことも失敗でした。転職先のこともよく調べずに、今欲しいスキルと年収があるというだけで、飛びついて移ってしまったんです。

誰かに相談していれば、自分の本当の望みが分かったかもしれません。メーカーではビジネスサイドの仕事をしていましたが、研究職に移るという選択肢もあったのではないかと思います。

――これから転職について藤原さんに相談してくる人がいたら、どんなアドバイスをしますか。

藤原:一概には言えませんが、ひとつは社内の異動も含め、いろんな選択肢を考えることを勧めるでしょう。転職というカードを交渉材料にするのはひとつのやり方だと思いますし。

それでも転職がしたかったらやってみたらいいと思います。結局やってみないとわからないので。私は病気というアクシデントがあって、2度目の転職をすることになりましたが、そのことでやりたいことに踏み出せたという面もあります。

――今後の目標を教えてください。

藤原:もう一つのやりたいことである「研究」にはいつか携わってみたいと思っています。そのうえで、研究の面からスポーツに貢献できるといいですね。 description

第3回「仕事編➀」に続く》

連載「私はこうして失敗を乗り越えた」記事一覧はこちら
コラム作成者
Liiga編集部
Liigaは、「外資就活ドットコム」の姉妹サイトであり、現役プロフェッショナルのキャリア形成を支援するプラットフォームです。 独自の企画取材を通して、プロフェッショナルが必要とする情報をお伝えします。