連載「私はこうして失敗を乗り越えた」仕事編の2回目(最終回)は、新規事業における失敗について聞いた。
1人目はベンチャー企業で新製品を開発する部署のリーダーを務めていた平野昇平さん(仮名)。平野さんは技術者出身。初めて数十人のチームのマネジメントを任され、熱意をもって働いていたものの開発“以外”の部分をフォローしきれず失敗したという。
もう1人はテクノロジー系企業で新サービスを数カ国に展開する事業のリーダー、遠藤大地さん(仮名)。遠藤さんはプロジェクトにかかわった数カ国の間でコンセンサスがとれず、事業が崩壊しかけたという。【南部香織】
コロナ禍でイベントが中止。関係者との契約があいまいで大問題に
――現在は転職活動中とのことですが、前職ではどんな仕事をしていたのですか。
平野:ベンチャー企業の新製品を開発する部署でマネージャーをしていました。この新製品は皆さんの暮らしを便利にするものです。ゆくゆくは発展途上国を市場に、そこに住む方の生活の質を向上させることに貢献できればと考えていました。
世界的にも、日常的に使えるほどの段階に到達した社はまだなく、まずは日常的な使用に耐えうるレベルの試作品を開発することを目指していました。
――とても社会的意義の大きな事業のようですし、マネージャーの仕事もやりがいがありそうです。
平野:当初はいち技術者として入社したのですが、しばらく働いて開発チームも大きくなっていくうちに、責任者に指名されました。
部下の技術者たちのやる気と能力を引き出すという役目は、自分に向いていると思いましたし、すごく楽しかったのですが……。
――失敗をしてしまったと。
平野:はい。実は大規模な試作品のお披露目会を予定していたのですが、新型コロナウイルスの影響でそのイベントがなくなってしまいました。
――でもそれは平野さんのせいではないですよね。
平野:イベントがなくなったことに関してはそうなのですが、そのお披露目会に向かって協力会社さんに部品制作してもらうための時間や労力をあけておいてもらっていたのです。ですので、仕事自体がなくなってしまって大変なご迷惑をかけました。
その上、一番の問題点は契約内容が最後まで詰め切れておらず、あいまいなままになっていたことです。こういった想定外の場合、どう対処するか細かく決めていなかったため、もめてしまったのです。
――どうしてそんなことになってしまったのでしょう。
平野:イベントまでにあまり時間がなく、とにかく試作品をつくりあげることに集中していたので、契約の中でさまざまな状況を想定する余裕がなかったからです。
成否が会社の存続に大きな影響を与えるというプレッシャーもあり、うまくいかない場合ということを想定できませんでした。なんとか後始末はつけたのですが、心身ともにストレスを受けていたようで、少し考える時間をもらったうえで退職しました。
「自分だけで何とかしよう」。責任感ゆえだったが、うぬぼれもあった
――振り返ってみてどうすればよかったと感じますか。
平野:2つあると思っています。1つ目は“まさか”の事態を前もって考えておくことです。その場合を想定して“コンティンジェンシープラン(緊急時対応計画)”を立てておけば、損害も小さく抑えられたかもしれません。
また、緊急時のことが想定できていれば、協力会社さんときちんと契約を結んでおきましょうという話になっていたかもしれないですし、少なくとも、新型コロナウイルスが中国で流行しだしたタイミングで、もしもの場合はこうすることにしようと話しておければ温厚に解決できたでしょう。
2つ目は常に社内で情報を共有しておくことです。私は新規事業部のリーダーでしたので、その上はもう執行役員しかいません。役員らとのコミュニケーションは決しておろそかにしていたわけではないのですが、振り返れば密度が全く不足していたと感じています。
良いことも悪いことも逐一報告し、現状を認識してもらっていれば、状況が悪くなった時にも相談しやすかったでしょうし、会社と一体になって対処できたのではないかと思います。
――ご自分だけで対処しようとしてしまった、ということでしょうか。
平野:はい。自分で何とかしようとしてしまいました。リーダーを引き受けた以上、プロジェクトがうまく進むように整えるのが私の役目です。任されたのだからやり切らないといけないという責任感もありましたし、今思えば、自分で乗り切れるだろうという、うぬぼれもあったと思います。
社内で相談をしていれば、契約をまとめられる人をアサインしてもらうなど、いろんな手が考えられたでしょう。
――失敗を今後にどのように生かしていこうと思いますか。
平野:今のところ別のメーカーに再度、開発のリーダーで転職することはあまり考えていません。同じことを繰り返してしまう気がするからです。
ですので、事業を動かす力を向上させるために、一度製造業向けのコンサルティングの会社に入るという選択を考えています。まずはコンサルタントとしてプロジェクトをうまく進められるように成長し、その知見を生かしてまた事業会社でものづくりをしたいと思っています。
数カ国が集まる研修の地で現地スタッフの不満が爆発。事業ストップの危機に
――新サービスというのはどういった事業なのでしょう。
遠藤:弊社のテクノロジーを使って、今まで何千万円もかかり、かつ危険だったある作業を簡単に行うことができるというサービスを展開する事業です。この事業は日本に加え、海外数カ国でも広めることが決まっていました。
私は、事業全体を市場調査から一貫してハンドリングするという役割です。現地の支社にいる駐在員やローカルで雇ったスタッフらとともに進めていました。
――その中でどんな失敗をしてしまったのですか。
遠藤:端的に申し上げると、各国の状況や望んでいることを正確に把握しきれておらず、不満が噴出し、事業がストップしかけてしまいました。ある国に集まって研修したのですが、そこでローカルスタッフたちとけんかのようになってしまったのです。
――何が原因だったのですか。
遠藤:もともと現地の駐在員たちとローカルのスタッフたちはコミュニケーションがうまくいっておらず、共通認識が持てていなかったようです。ローカルのスタッフたちは日本の本社がやれというなら、というぐらいのモチベーションだったのですね。
そこへいきなり私がやってきたと。どのくらいの規模で、どういった思いをもってこの事業をやっていくのかという背景を説明したのですが、ローカルのスタッフたちにしてみると、現地の駐在員と言っていることが違うし、意図もよくわからなかったみたいで、不信感が募ったみたいですね。
――どう対処したのでしょうか。
遠藤:これは何か齟齬(そご)が生まれていると感じたので、研修に来ていた各国の現地のスタッフにヒアリングをしました。
――具体的にどんなことが聞けたのでしょう。
遠藤:現地の駐在員たちは事業を広げたいので「マーケットにニーズはある」と言っていたのですが、ある国のローカルスタッフたちは「そもそもニーズはないだろう」と思っていたし、またある国のスタッフたちは「ニーズはあるかもしれないが、そんなに売り上げは大きくないだろう」と感じていたんです。
実際そのうちの1カ国では、この事業を予定していた通りにはやらないという結論にもなりました。
転職したばかりの仕事だったので、自らの“違和感”を流してしまった
――大変な展開になりましたね。
遠藤:でも、ヒアリングをしたことで、元々の事業のやり方は難しいかもしれないが、別のニーズはあるということがわかり、そちらに方向を変えることができました。
またある国では、それまでは具体的な売り上げのイメージを持てていなかったのが、私の持っている情報を伝えることで、それがクリアにもなったようです。
現地の一次情報を得ながら、事業背景や規模感を伝えることができ、これが状況を好転させるきっかけになったと思います。
今ではそれぞれの国に合ったやり方で事業が進められています。
――遠藤さんとしてはどんな部分が反省点ですか。
遠藤:もっと早い段階で現地スタッフのマーケットニーズの感覚を聞き、どういう状態を望んでいるのか把握すべきだったと思います。そのうえで事業の全体像や、その計画を描いた背景などを伝えていれば、スムーズに進んだ気がします。
また、実は最初からこの進め方でいいのか少し不安な部分はあったんです。前職ではかなりオーナーシップを持って仕事をしていたのですが、転職したばかりだったということもあって、上司の指示に従ってその違和感を流してしまったという反省があります。
――反省が今に生かされている部分はありますか。
遠藤:今、取り組んでいる新しいプロジェクトに生かされています。
いろんな国や会社が関わっているのですが、最初から前提条件をオープンにしたうえで、このくらいの売り上げがほしいとか、このくらいの実績がほしいなど、各々のインセンティブを明らかにして話し合いが進められています。
それがクリアになった段階で初めて、コンセンサスがとれるものだと思います。