「戦略的に考えないと、キャリアは切り拓けない」 投資銀行→スタンフォードMBA卒起業家が語るグローバル・キャリアの作り方 #01
2017/03/03
#キャリア戦略概論
#良いエージェントの選び方

*こちらの記事は「外資就活ドットコム」からの転載となっております。

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投資銀行から戦略コンサルに入社し、数年働いてグローバルトップ10のMBAに留学、帰国して起業――。外資系エリート憧れのキャリアを歩んでいるのが、オーマイグラス株式会社の代表取締役・清川忠康さん(34)です。

慶応義塾大学法学部を卒業後、米インディアナ大学大学院に留学し、会計学修士を取得。投資銀行のUBSにIBDとして入社したのち、スタンフォード大学MBAを取得し、2011年に日本有数のメガネの産地、鯖江産のフレームを中心としたメガネのEC「Oh My Glasses TOKYO (オーマイグラストーキョー)」を 創業しました。

同社のビジネスモデルは、通販でありながら送料も返品送料も無料で、5本まで気に入ったフレームを試着できるという、日本では珍しいもの。現在はおよそ1万種類のメガネやサングラスを扱うECとして、現在、資本金6億円超、東京や大阪などに6店舗の直営店を構えるまでに成長しました。

そんな清川さんは、常に「戦略的に」キャリアを構築してきたといいます。どんな学生時代を過ごし、現在のキャリアを構築するに至ったのか、その過程について聞きました。(写真提供/オーマイグラス株式会社)

ゴルフばかりで就活スルー

――清川さんは慶応卒でしたね。大学時代はどんな学生でしたか。

体育会ゴルフ部で、ゴルフばかりやっていました。父も経営者で、その影響で小学校高学年からゴルフにはまっていまして。高校は慶応義塾だったので、内部進学です。

そこそこ勉強して、法学部法律学科に進学しました。法学部は、体育会の生活を維持しやすい環境なんですよ。ゼミにも先輩がいたし。なので、就活という観点でも、理論立ててOB訪問して、なんてなかったんです(笑)。全ての生活がゴルフ中心に回っていました。

――確かご出身は大阪でしたね。東京の慶応義塾高校に行こうというのはどうやって決めたのでしょうか。

とにかくゴルフをしたい、大学受験したくない、というのがありました。小さいころからかなり勉強してきていたので、関西の灘(高校)などに行くよりも他のことをしたいと思いまして。なので、内部進学できるところを考えました。

僕は早慶の高校はほとんど受けています。特に当時からビジネスに興味があったので、慶応はとにかく押さえておこうと、慶応志木などの付属高校はほぼ全部。高校生から親元を離れて寮生活になりましたけど、親は「慶応ならば」と結構喜んで送り出してくれました。あまり、受かると思っていなかったみたいですね。

――いま大学生活を振り返ってどうでしたか。

今思うと、全く勉強しませんでした。留学を経て思うのは、「大学生は遊べ」というのは日本だけで、アメリカだとスポーツマンもちゃんと勉強もするんですよ。でも僕はテスト前だけ。慶応もいい先生がたくさんいたのに、今考えると本当にもったいなかったな。

――就活も戦略的に進められたのでしょうか。

それがですね、大学三年生の時の就活は、全くでした。ゴルフばかりやっているうちにいつの間にかシーズンが過ぎちゃったという(笑)。

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――本当ですか。

本当です。戦略的に考えないと、キャリアって切り拓いていけないんですよ。そう思って、これはいけないと思って、ちゃんと考えるようになるんです。具体的には、アメリカに留学して、他の人に負けないような何かを得ようと考えました。その上で次の就活に向けて準備することにしました。 海外留学で覚醒。BCFで投資銀行に惹かれる

――慶応法学部を卒業後、米インディアナ大学で会計学修士を取得されたのですよね。大学在学中に語学留学をする人は多いと思いますが、なぜわざわざ大学院で会計を学ばれたのでしょうか。

傍からみると、体育会やって、ふらふらしてて1年留年して、英語っていっても語学学校行って……となると「ああそういう人ね」と見られてしまうと思ったからです。

アメリカの大学は(MBAとは異なり)大学院であれば、職務経歴がなくても、努力次第で有名校に行けるんです。どうせ留学するなら大学院だ、でも行くなら確固たるスキルがつかないと挽回できない。そう思った時に、僕はずっと数学が好きで得意だったので、会計系なら吸収が速いんじゃないかと。インディアナ大学は全米の会計学部の中では有名なんです。

これは確かDeNAの南場さんがおっしゃっていた言葉だと記憶していますが「自分が進んだ道を正当化する努力」ですね。交換留学じゃなくて、ちゃんと一般受験で合格しました。

――なるほど、まさに戦略的に考えて、会計学の大学院を選んだわけですね。実際に留学してみていかがでしたか。

結果的に、行ってすごくよかった。僕はゴルフ部時代は、外資系の投資銀行とか、BCGとか言われても、何のことかさっぱりでした。リーマン・ブラザーズは知ってたけど、何をやっている会社かと言われると分からない。ところが、インディアナ大学ではMBAの人達と授業がかぶっていて、彼らが結構に相談載ってくれたのです。

ゴルフは一匹狼、集中して突き詰めていくスポーツです。それで培った気合・根性だけでなく、自分は数字も勉強した。それでできることって何なんですかね、とあるMBAコースの学生に聞いたら「体力に自信があったら、M&A(投資銀行)はおすすめだよ」と。アメリカでは、ファイナンスは日本よりも身近な学問です。短期でキャリアアップもできるし、アメリカ人だとウォールストリートで働くのは一つの夢でもある。

加えて、その中でも優秀な人が投資銀行に入ったことも刺激になりました。インディアナ大学は州立大学なので、MBAでハーバードなどに行ける実力があっても、「地元の州立大学に行きたい」といって入学してくる人がいます。一人、すごく優秀な人がいて、その人がゴールドマンサックスに入社したんです。

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それで、ボストンキャリアフォーラム(BCF)で投資銀行を見に行ってみることにしました。

――大学院に留学されて初めて、投資銀行が身近なものになった訳ですね。BCFに行ってみて、どうでしたか。

投資銀行の人って今まで会った人達と違うなと感じました。飲み会でもどんちゃん騒ぎするのではなくて、スイートルームで静かに飲んでる。かっこいいなと。僕はあまり人と話が合わないこともあったのですが、珍しく話が合うというか。いろいろな投資銀行を回ったら、ポジティブな反応ばかりだったので、相性もいいのかなと思いました。

――なるほど。米国留学が大きなマインドチェンジになったのですね。

アメリカに行ったのは本当に良い経験だったと思います。グローバルスタンダードを知ることができました。

――スタンフォードMBAも、早くから意識されていたのでしょうか。

そうですね。UBSに入っても、2~3年でものにしないと、という意識は常にありました。自分でビジネスをやるのに興味は持っていたので、早い段階でビジネススクールを意識していました。

向こうに行くと、特にMBAでは、日本人のほうが同級生より年齢が高いことがほとんどです。スタンフォードの同級生って、アメリカ人だと25歳前後が多いんですよ。話を聞くと、新卒でマッキンゼーに入って3年働きながらMBA受けて合格した、とかね。

同じゴールドマンサックスでも、ウォールストリートで働いてるアメリカのゴールドマンサックス社員に限って文武両道で、スポーツでも国レベルの結果を出していたりする。ああこういう人って、いるんだなと。アメリカのメインストリーム、ですよね。

もちろんアメリカだけでなく、世界各国からトップMBAに来る人ってどんな人か、その国で評価されてる人ってどんな人か、というのが分かりました。これは漠然と語学留学に行ったくらいでは、分からなかったのではないかと思います。世界のメインストリームを知れた気がしました。

投資銀行で働くには、強い目的意識が全て

――清川さんは、1年間でUBSを退職されていますね。「石の上にも三年」という諺があるとおり、日本には「続けることが美徳である」という考え方もありますが、どう思われますか。

前提として、目の前の仕事でまず結果を出す、というのはそのとおりだと思います。でも投資銀行とか戦略コンサルの世界は、「何年働く」「何のために働く」といったように、自分自身のキャリアをきちっと作っていかないと生き抜いていけません。「続けてさえいれば、見てくれている人がいる」という世界ではないと思いますね。

――ではどのようなマインドセットが大切だと思いますか。

最終的にはその人が何をやりたいか、だと思いますね。投資銀行、コンサルもそうだけど、結構職人的な性質もある仕事ですよね。特に新人のうちはエクセル操作やパワポ作りに追われるところもありますから。板前の世界に近いところがあるのではないでしょうか。

レストラン経営をしたい時に寿司職人の修行をすると、マインドセットは勉強になるけど、そのまま寿司を極めればいいかというと違いますよね。経営者になりたい人が外銀やコンサルに行くと、短期間で確かに成長はできます。でもある程度以上は職人芸の世界です。給与の高い職人です。好きじゃなくても、やらざるを得なくなってくる。ワークライフバランスも決して取りやすくはないですし。

――投資銀行やコンサルで働いた経験を振り返って、何か感想はありますか。

最初はしんどかった。とにかく体力的にもしんどかった。仕事にひたすらコミットして……。でも働けるときに働いておかないと、と思いますよ。20代にある程度頑張っておくと、その資産で30代以降ある程度食っていけるんです。貯金になるんですよ。それって最初じゃないとだめで、最初の会社がどこかは本当に重要です。社風や教育もそうですが、30代になるとそういう働き方はできなくなりますから。その点、外銀は本当に素晴らしい環境だと思いますね。

「外資系という”上澄み”だけ知っていても生き残れない」 投資銀行IBD→スタンフォードMBA卒の起業家が語るグローバル・キャリアの作り方(下)に続く

清川忠康さんプロフィール

1982年大阪府生まれ。2005年に慶応義塾大学法学部、2006年にインディアナ大学大学院を卒業後、UBS証券、経営共創基盤を経て、スタンフォード大学経営大学院に留学。在学中に米中のスタートアップ企業の経営に関わり、2年次在学中に株式会社ミスタータディ(現オーマイグラス株式会社)を創業、代表取締役に就任。オーマイグラスは、オムニチャネルメガネリテイラーとして、Oh My Glasses TOKYOの屋号で返品無料送料無料の日本最大級のメガネ通販サイトと実店舗を運営。主な著書「スタンフォードの未来を創造する授業」(総合法令出版、2013年)

コラム作成者
Liiga編集部
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