日本の教育と社会

日本の教育はこれからの日本並びに世界の動きに柔軟に適応し、生きていくことができる人格や考え方、スキルを身に付けるために心技体の面に分けて、行われているわけであるが、果たして日本の教育は本当にこれからの社会に適応することができる人間を育てることができているのであろうか。 まず、戒律、つまりルールを守るという心であるが、ここについてはかなり厳しく教育がなされているといえるであろう。どんな社会になろうともルールというものは存在するわけで、ルールを守った上で自分自身のカラーを出していくのが大切である。 その他にもICT教育、数学での資料を用いた統計の教育の重視、留学プログラムを頻繁に行ったりと今の社会に対応はしている気はするが、この変動の激しい社会では、10年後本当に必要なのかは分からない。 次に効率という側面に着目したい、もし仮に、社会でビジネスをしていくと考えた場合に効率よく仕事をすることは非常に大切なスキルであるし、効率をよくすることは生産性の向上につながる。これこそ子供の頃から育てていかなければならないマインドであると思うのであるのだが、この部分は非常に未発達であると感じる。 なぜならば、まだ日本の教育には一般的にいう体育会系のノリというか、見えない集団の圧力というものが存在する。これは効率的に物事をこなそうとした時にかなり、足枷となる。端的に言うと、「時間をかける」ことこそが評価されるということだ。苦脳している姿こそ評価される風潮が抜けない。部活動の片づけにしても、効率よくbetterを目指して練習するよりも、とにかくこだわって時間をかけて、練習を早めに終わってでも塵一つ残さないbestな状態こそが大切であるとされる。子どもの頃から時間を省けるものは省くという考え方は望ましくないと皆さんも思われるだろう、だからこそ、効率という面はなかなか子供達には定着しないのだと感じる。 そんな子供達が、知識だけを身に付けて社会に出る。生産性が最初から高いわけがない。アルバイトや、会社での失敗を通して学ぶ。しかし日本の社会は失敗を許さない風潮に変わってきている。様々な場面でもクレームを見ればうなずけるであろう。子供達に残された道は失敗をせずに、効率を高めていくことだ。それは指示待ち人間も増える。クリエイティブなことにチャレンジしようなんて思わないだろう。視野が狭いし、拡げるチャンスもないのだから。 日本の古き良き「おもてなし」というマインド。それと真逆とも言える効率というマインドその両立を教育にも持ち込んでいくことがこれからの教育では大切になってくるであろう。

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ハグリッド先生との出会い

新卒で教員として採用されて1年と半年が経とうとしている。 この投稿では少しビジネスとはかけ離れた話をしてみたい。 私は教員の中ではなかなかイレギュラーな存在である。 私のような人間が教員として採用されて良かったのかと考えることがあるくらいだ。 教員とは労働時間があることはあるが、朝早くから夜遅くまで、昼休憩も休憩もないし、土日は部活動に駆り出され、得意でないスポーツを教えることもある。その割には残業代など給料のほんの数%の調整費で一定。土日の部活動は時給にすると500円くらいで一日やっても半日と同じ支給額だ。 そんな職業であることは分かっていたし、ストレスも一般的な民間のストレスとはまた別種のものがあることも分かっていた。 ではなぜそれが分かっていながらこの職業を選んだのかというと、 小学生からの夢であったし、自己の成長につながると考えたからであった。 そんななめた考えを叩きのめしてくれたのは職員室で誰からも煙たがれている先生であった。ハリーポッターのハグリッドに似ているのでハグリッド先生とここでは呼ぶこととする。 彼は大学卒業後2年間民間企業に就職してから教員になった。 なので民間のことも教員のことも知っている人である。 その人がよく言っていた言葉は「お前には心がない」ということである。 「お前が心がなくて損得で物事を捉えるのは別に大人だしどうでもいいんだけど、その考えは担任している子供に移る」と言われた。 何をこの人は言っているのだと感じた。 仕事なんて損得だろう。効率よく仕事していくことが大切で、子供達も社会に出るんだからそのことを指導した方がいいだろうがと素直に受け入れられないし、理解できない所もたくさんあった。 その後も1年間ずっと言われ続けた。 では具体的に私のどこが心がないかと言う話をしようと思う。 1.自分の仕事を素早く終わらせるために、世間話をあまりしない。 2.駐車場でそれぞれの場所が決まってないからといって、自由に空いた場所に車を留める。 3.「ありがとうございます」という言葉ではなく「すみません」という言葉を使う。 まず1番これは世間話をすること=時間の無駄=損というふうに考えていたからである。心があるならばどんな世間話でも付き合うのが大切で、損得を抜きに良好な人間関係を築くことが職場には必要であるということなのだと思う。 私が~だと思うという表現を使うのは結局答えを教えてもらってないのだ。ほとんど「~するのは心がないの~」という言い方をされていて、自分で考えなければならなかった。 2番は答えを教えてくれたもので、「人間は習慣に沿う生き物だから駐車場の場所が決まってないから自由に留められると別に怒らないけど、もしお前が困っている時や落ち込んでいる時に慰めてやろうって気持ちは芽生えなくなるぞ」と言われた。 3番は忙しいのにごめんなさいという「すみません」という言葉より、忙しいのに気を遣ってくれてありがとうございますという感謝の気持ちが優先する方が気持ちがいいよねということだろうと思う。 これらはほんの一部で他にもたくさん言われたのだが、2年目に入ってから一度も「お前は心がない」と言われることはなくなった。それよりは「お前でも気が遣えるようになったんだな」と言われるようになった。 それで最近、岡潔という数学者の本を読んでいるのだが、この人も著書の中で心について触れている。 人間には動物性(本能)と人間性(理性)の部分があり、本能には欲求などがある。 私が教員1年目にしていた心ない行動というのは本能で、一時でも早く自分の仕事を終わらせて早く帰りたい、自分の成長のために教員という職業を利用してやろうという自己の欲求なのだろう。 しかし人間が人間たるゆえんである心のある行動とは、自分の仕事先に終わったから他の人の仕事も少しやったげて皆早く帰れるといいな、疲れてそうだから世間話でもして愚痴聞いてあげよう、皆頑張っているから差し入れをしてあげようとか自己の欲求を置いておいて分け与えたり助け合ったりすることをさすのだろう。 この人間性をおいて科学が発展した結果が、原子爆弾などの悲劇なのだと岡潔は語っている。 私は危うく心のない子供達を作るところであった。 そして教員はこのハグリッド先生が煙たがられるように、莫大すぎる仕事量の前に心の余裕なんてものも無くなってきている。そしてそういった教員の考えは子供達に伝染し、その子供達が未来の日本を担い、その子供達の考えが次の世代に伝染しとだんだん失われていっている。 もちろん効率も必要だし、早く仕事できることは正義だと思う。けれども私を代表にしていわゆる「ゆとり世代」の人達は困らないように生きるために損得を叩きこまれている。 正直、自分でも心ある行動をしないと気持ち悪いなとか心ある行動の意味が分かってきたという実感はある。1年目から細かくて一般的に言うと厄介と言われるであろう上司だが、仕事をする上でかけがえのないことを教えてくれたのでとても感謝している。 私も24歳になって始めてこのことに気づかされたわけだが、もし私がビジネスの世界に入っても心だけは持って仕事をしたいと思う。効率もそうだが、人との関わり合いの中で心を持って接し、それは相手に伝わり必ず心ある行動として返ってくるはずだ。 ハグリッド先生には「ありがとうございます」という感謝の言葉が似合う。

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