sponsored by A.T. カーニー
A.T. カーニーには、他業界出身のコンサルタントも数多く在籍する。そうした未経験者をクローズアップするシリーズの第1回に登場いただくのは、出版社からコンサルタントという異色の転身を遂げた末次健人氏だ。日本が得意とするキャラクターコンテンツなどを世界で戦えるビジネスにしたいという志を持ち、A.T. カーニーに入社。同社が掲げるミッション「日本を変える、世界が変わる」を地でいく仕事ぶりは、クライアントからの信頼も厚い。未経験からスタートし、現在はプリンシパルとして組織をけん引する末次氏。どのように壁を乗り越え、現在地までたどり着いたのか。そしてこれからどこを目指すのか。率直に語っていただいた。
※内容や肩書は2023年10月の記事公開当時のものです。
IP(知的財産)の可能性に惹かれ、出版社へ
――出版社からの戦略ファームへの転身はかなり異色ですね。
末次:私も自分以外に聞いたことがないです(笑)。逆のパターンはまれにあるようですが。
――転職の理由は何だったのでしょうか?
末次:もともと出版社に行ったのは、日本のキャラクターコンテンツ、IP(知的財産)の可能性に惹かれていたからです。IPは日本の企業がグローバルに戦える数少ない領域だと思っていて、その支援に携わりたくて講談社に入社しました。
まずは数字から会社や業界の全体像を理解しようと、管理会計や経理全般を扱う部署を希望して配属となり、そこで数字の見方やエンタメのビジネスモデルなどを4年間みっちり勉強させてもらいました。それまでは良かったのですが、会社の仕組みやその裏側まで知ってしまったことで、自分がやりたい仕事にたどり着くにはまだ相当時間がかかりそうだと気づいたんです。
40代後半、あるいは50代になるまで待たなければ、大きな決裁権を持ってビジネスを動かすことはできない。ビジネスパーソンとしてもっとスピーディーに自分が成長しなければ、日本のコンテンツをグローバル市場で戦えるようにするという、そもそもの目標に近づけません。じゃあどこならできるのかと考えた時、その答えが戦略コンサルティングファームでした。
――戦略ファームもいくつかありますが、なぜA.T. カーニーだったのでしょうか?
末次:第一印象として、個性的で議論好きな人が多いファームだなと感じました。面接を受けた際も、1人の個人として尊重されている感じが強かったんですよね。面接をする人・される人という関係性ではなく、フラットに議論をしながら一緒に答えを探していこうという雰囲気でした。ある意味ファミリーというか、そうした温かさに惹かれたことが、A.T. カーニーを選んだ理由です。
幅広い領域を経験し、コンサルタントの思考法を鍛え上げる
――入社後はすぐにコンテンツ系の案件を手がけられたのですか?
末次:いえ、そういうわけではありません。全くの未経験でしたから、コンサルタントの思考法もスキルも当然持ち合わせていない。まずはどのカテゴリーでもいいので経験を積むことが先決だと思っていたので、消費財、ヘルスケア、PEファンドなど幅広い領域に携わらせてもらいました。
メディアの案件を手がけるようになったのは、自分がマネージャーに昇格した後、2020年くらいからですね。A.T. カーニーとしてはそれ以前もいくつかプロジェクトを手がけてはいましたが、もともとエンタメ業界自体がコンサルを依頼する文化が弱いという特徴もあります。当時、たまたま引き合いを頂いたクライアントをきっかけに、私を含め何人かでプラクティスとして立ち上げ、そこから本格的に手がけるようになりました。
――コンサルティングのスキルはどうやって身に付けていったのでしょうか。
末次:正直、私が入社した頃は今と違って“オールドコンサル”の時代で、朝から晩まで働くことが許されていました。もちろん研修もありましたけれど、とにかく先輩たちの仕事を見よう見まねで吸収していく。未経験でスキルのない自分でも、時間をたくさん使うことでなんとか乗り切ることができました。ただ、これから入ってくる皆さんはそういう働き方はできないので、そこは工夫が必要だと思います。
――全く新しい仕事への挑戦で、自分の柱となったものはありましたか?
末次:コンサルタントという職業はモラトリアム的に捉えられがちですよね。コンサルを経験すれば次はどこにでも就職できるという感じで。ただ、モラトリアムの中でも、将来こういう仕事をしたい、だからコンサルとして今がんばるんだという明確な目的意識がないと、どこかで折れてしまうと思います。
私の場合ですが、40歳になった時の未来予想図を5パターンぐらい描いていて、その実現のための第一歩がコンサルとして働くことでした。3年がんばって経験と技術を身に付けて会社を辞め、5本の道のどれかを選ぼうと思っていたんです。A.T. カーニーのようなプロフェッショナルファームで3年経験を積めば、ある程度1人前になれるだろうと考えていたので。
――末次さんの場合、辞めずに続けているので6本目の道が見つかったということでしょうか。
末次:そうなりますね。正直に言うと辞めどきを逸したという部分もあります(笑)。マネージャーに昇進し、さてこれからどうしようかと考えているときに、たまたま自分がずっとやりたかったコンテンツ系のプロジェクトの話が来た。だったらその立ち上げからがんばってみようと発想を変えました。
ある意味流れに任せた部分はありますが、ずっと自分はこういう仕事がしたいと言い続けてきたし、その案件が来た時に声をかけてもらえるような信頼を得ていたわけで、これも1つの努力の結果だと思っています。
国産コンテンツのグローバル化を支援
――メディアプラクティスチームでは、どんな案件を手がけているのでしょうか。
末次:最も長くお付き合いさせていただいているのは、ある老舗IPの企業です。中期経営計画の策定から入って、その実行を含めてご支援を続けています。創業家出身の若い社長さんと、IPやグローバル展開を今後どうするかなどを議論しながら、3年ほどご一緒させてもらっています。
われわれのクライアントはゲーム、出版、キャラクター企業が中心となるわけですが、やはりホットトピックとなっているのはグローバル化ですね。日本は国内市場だけでそれなりの規模があったので外に出る必要がなかったのですが、現在は少子高齢化によって市場が縮小しつつあります。その上海外からNetflixやDisney+といったプラットフォーマーに乗ってディズニーや韓流もさらにIPを展開してきたことで、どのクライアントも危機感を持っている。これまで以上に海外マーケットに力を入れていきたいというご相談が増えています。
あとは新しい技術の話もあって、コンテンツの世界であれば生成AIとWeb3ですね。生成AIについては作家のクリエイティビティが代替されてもおかしくないレベルになりつつあります。そうした環境でどんな作品が将来残っていくのか。また、Web3についても一般の方々が欲しがるNFTをどう実現していくかなど、さまざまな議論をクライアントと重ねています。最先端のテーマで、非常にエキサイティングですね。
――ご自身の今後のビジョンをお聞かせください。
末次:先日ちょうどインドに出張してきたのですが、実際に現地に足を運ぶと、マーケットの難しさもポテンシャルも見えてきますね。コンテンツ系はまだまだ未開拓の領域なので可能性が大きいし、グローバル化についてこれまで以上に海外とのリレーションを強化し、自分自身もより高いスキルセットを身に付ける必要があると感じました。
将来的には自分の出自である出版業界で働くことも選択肢の1つではありますが、それだとやはり1つの会社や1つの業界にフォーカスすることになり、世の中全体に大きなインパクトを生むのは難度が高いかなと。であればコンサルタントとして多様なクライアントと関わりながら、「こことここが組んだら面白い化学変化が起こるんじゃないか」と、業界全体のシナジーを生み出すような働き方をしていきたいと考えています。個社に閉じず、大きな絵を描きながら仕事ができるのは、われわれコンサルタントならではだと思うので。
あとは、新しい領域にも積極的にチャレンジしたい。エンタメでいえば、スポーツもあるんですよね。私自身はアメリカのスポーツが好きでよく観るんですが、MLBと日本のプロ野球の市場規模って、1990年代前半は同じくらいだったんです。でも今は10倍近くも差がついて、放映権料も桁が違う状況になっています。
これはビジネスにおける国内スポーツの失敗だと思っていて、なんとかもう一度上昇気流に乗せていきたい。チームや協会がもっとお金を稼げるようになれば、そのスポーツのレベルも上がるはずですよね。今の日本のスポーツビジネスに対して、われわれも何かできるんじゃないかと他のメンバーと相談しているところです。自分がマネージャー、プリンシパルと昇格してきたことで裁量も増え、そうやって新しいマーケットを見つけてチャレンジすることもできるわけで、大きなやりがいを感じています。
自分が成長していく過程を楽しめる人
――どんな人材に来てほしいとお考えですか?
末次:今何ができるかはそれほど問いません。それよりも学ぶ意欲、吸収力、反応力の方がはるかに重要です。地頭がどうこうと言いますが、面接で数十分話をするだけで相手の頭の中を測るなんておこがましいですよね。それよりも学ぶ意欲、パーソナリティ、ビヘイビアを私個人としては重視します。自分が成長していく過程を楽しめる人は、この会社に合っていると思います。
――末次さんも未経験からのスタートでしたが、壁をどう乗り越えてきたのでしょうか。
末次:よく聞かれるんですが、あまり覚えていないんですよね。ただ、私の場合、シニアビジネスアナリスト(SBA)からアソシエイトに昇格した頃が一番苦しかったかな。SBAはスキルセットの世界なので、エクセル、スライド、議事録といったハードスキルを1つ1つ伸ばせばなんとかなる。でも、そこからアソシエイトに昇格するとガラリとステージが変わるんです。
クライアントの本質的な課題は何で、それをどう解けばいいのか。どうしたら意思決定まで持っていけるのか。そうしたことを構造的に考えなくてはなりません。まさにコンサルとしての頭の使い方が求められるわけです。
どうその壁を乗り越えたかといえば、逃げずに数をこなすしかなかったですね。逃げて適当にやると必ずバレるし、何より自分にとっての学びがない。たとえダメ出しされても、とにかく考え抜いてベストだと思うものを出すことに価値がある。いいんです、何を言われても。アウトプットが言われているだけで僕が言われているわけじゃない。そういうメンタリティで逃げずにやったことが大きかったように思います。
――現在はプリンシパルとして、部下の成長をどのように支えていらっしゃいますか?
末次:最近、あるプロジェクトで、若いSBAとBA(ビジネスアナリスト)の2人だけでアウトプットを作ってもらったことがあります。私がマネージャーとして付いたのですが、彼女たちにあえてまるごと任せた結果、驚くほどクオリティの高い成果物が出てきました。強い責任感を持ち、本当にこれで良いのかと自問自答しながらがんばって作り上げてくれたのです。
それを見て思ったのは、やはり自分しかいない状況、自分以外に誰も品質を担保してくれないという緊張感があるからこそ、人の能力は開花するんだなと。もちろん実際はちゃんと上司が目配りをしているのですが、誰かがなんとかしてくれるだろうと思った瞬間、成長は止まってしまうのではないでしょうか。
実際、振り返ってみれば、私自身もそうやって任せてもらうことで成長できたと感じます。もちろん行き詰まったときは、上司がちゃんと助けてくれました。今度は自分がメンバーたちに、同じように成長するための機会や環境を提供できるようにしたいと思っています。