はじめに
Liiga会員の皆様の中には、ファンドで働くことを検討されている方も多いかと思います。ファンドで活躍するためには、どのようなスキル・マインドセットが求められるのでしょうか。
今回は、日本の中堅・中小企業の課題解決と経営支援を行っているプライベートエクイティファンド J-STARで投資担当マネージャーとして、ご活躍されている嶋氏にインタビューを実施しました。
嶋氏は、カリフォルニア大学サンタクルーズ校を卒業された後、三菱東京UFJ銀行からキャリアをスタートされました。その後、同行米国子会社であるMUFG Union Bankに出向し、ポートフォリオマネージャーとして勤務。現在は、J-STARにおいて案件開拓、投資実行、投資先支援、売却活動を担当されています。
前編である今回は、嶋氏自身がアメリカの大学をご卒業されてからメガバンクを経て、J-STARに入行するまでのキャリアを語っていただいています。
ぜひ、ご覧下さい。
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日本の銀行の勉強をするため。新卒ではメガバンクへ
- 本日はよろしくお願いします。嶋さんは海外大学をご卒業されて三菱東京UFJ銀行に入行されていますよね。新卒ではどのような就職活動をされていたのでしょうか。
実は、私は就職活動というものをほとんど行っていません。(笑)
というのも、アメリカの大学に在籍している時から、元々は経済学者を目指していて、大学4年生当時も大学院に進むつもりでいたからです。当時は、アメリカの大学で日本の経済に関する研究を行っていました。
- 経済学者ですか。アメリカにいながら、日本の経済の研究をされていたのですね。
“アメリカにいたからこそ”日本の経済の研究を始めたのかもしれません。
アメリカに住んでいた際、日本を客観的に見ていると「Japan as Number One」と称されていた頃のような日本経済の勢いがどんどん落ちて、他のアジア諸国に追い抜かれていました。当時は、学生ながらに非常に寂しい気持ちがあり、そんな想いから「日本の経済をなんとか元気にできないかな」と日本経済の研究に取り組んでいました。
研究を行っていく中で、日本の商業銀行への興味が次第に強まっていきましたね。世界的に見ると日本の銀行の役割というものは非常に特殊なんです。日本のバブル景気崩壊のトリガーにもなっていたことや、私が大学に在籍していた頃にちょうどゼロ金利政策の解除が行われたりいうこともあり、研究対象として非常に面白いものがありました。
- 日本の銀行で「働く」という観点ではなく、「研究対象」として興味を持たれていたのですか。最終的に、新卒でメガバンクに入行されたのはなぜでしょう。
実は、三菱東京UFJ銀行に入行を決めた理由としても「銀行の研究をしたかったから」という理由に他なりません。
日本の経済と銀行に興味を持っていたので、大学院は日本の公共政策大学院に入学するつもりで日本に帰国し、様々な教授にお話を伺いに行っていました。
その中で、ある教授に「嶋君が、大学院でやろうとしている研究は大学院に居るだけではきっと分からないことも多い。実際に銀行がどのような生き物なのか、中に入って見てみることも面白いよ。」とアドバイスをされたのです。
当時の自分も大学院に進む気は満々でしたが、そのアドバイスを受けて、銀行で働くことも検討し始めました。
- それで民間企業への就職も視野に入れたのですね。
ただ、当時は8月だったので、日系企業の就職活動の時期はとっくに過ぎています。
どうしようかと考えていた矢先、たまたまインターネットのバナー広告か何かで『三菱東京UFJ銀行 新卒採用募集』という文字を発見しました。その時に「この機会に応募してみよう」と思い立ち、応募したのです。
それからはとんとん拍子に選考が進み、内定をいただけました。
- 教授の一言で民間企業への就職を決めてしまうことも、大きな決断だったと思います。
仰る通りです。ただ、大学院は新卒でなくても入学できるけど、銀行は新卒でないと入行することは難しいだろうなあ、という考えが銀行への入行する大きな判断材料になりました。
また、当時すでにアメリカでは地価を中心にリーマンショックの予兆がありました。世界経済の雲行きが怪しいということは肌で感じていたので、就職環境が悪くなる前に入行することを決意しました。
最初に任されたのは支店業務。泥臭い職場でビジネスを学ぶ
- 三菱東京UFJ銀行へは、総合職で入行されたのですよね。
そうですね。新卒では大阪の茨木支社で2年半ほど法人営業を経験した後、東京の恵比寿支社でも2年ほど、中小企業向けの法人営業を経験しました。
- 最初は法人営業ですね。当初、銀行へ入行する目的とされていた日本の銀行の勉強はできたのでしょうか。
実際に銀行の中に入って、仕組みを理解できたことは大きいと思います。特に入行してからは、リーマンショックも経験し、その後、アメリカ勤務時代には日米の当局との折衝も経験することができました。様々な角度から、銀行の仕組みというものを理解し、自分の知的好奇心を満たすことに繋がったのではないかなと思います。
しかし、元々は銀行の中身を理解したくて入行したものの、生のビジネスの現場をまざまざと目の当たりにする中で「研究」だけではなく、「ビジネス」に興味を持つようになりました。
- 「ビジネス」ですか。どのような現場を見て興味を持つようになられたのでしょう。
法人営業を通じての経験です。
最初に配属された大阪の茨木という地域では、大手メーカーの下請け工場や運送会社をメインに担当していました。
一言で言うと本当に「泥臭い職場」です。
ノンアポで飛び込み営業もやりました。工場の入口で社長を大きな声で呼び、自ら現場に出て汗をかいている社長を捕まえたり、、、そんな光景です。
ドラマ「半沢直樹」で町工場の社長がネジを探しているシーンがありますよね。まさにそんな感じです。
一方、その後に転勤した恵比寿支社では、芸能関係の会社やアパレル業、飲食業などを中心に担当しました。業種によるKPIの違いなど以前に、そもそもノンアポでの訪問が許されないのがギャップでした。(笑)訪問方法から営業の方法まで仕事の中身がガラッと変わったのです。
2つの拠点での経験を経て、ビジネスを異なる角度で見ることができたことは非常に興味深いものでした。
- メガバンクでの業務の経験をきっかけとして現在もビジネスの世界で活躍されています。「生のビジネスの現場」の中で印象に残っている経験はありますか。
恵比寿支社時代に担当させていただいていた、ある会社との出来事が非常に印象に残っています。
その会社は創業50年ほどで長らく堅実に事業を続けていらっしゃる会社でしたが、本社がかなり老朽化しており、建て替えをしなければならない時期でした。私は、必要資金を調達するために、企業規模に比してかなり大きなファイナンスを組みました。
そして、その資金を調達するための社債発行の調印のアポイントが、東日本大震災が起きた2011年3月11日の午後3時でした。
銀行の執務室で、同社の管理担当部長を待っていたところ震災が発生。その部長は到着予定時刻の1時間半後にやっと到着されましたが、本社や社員のことが心配で心配で仕方がない状況です。携帯電話が繋がらない為、銀行の固定電話をお貸ししたところ何度も電話をかけ直し安否確認を必死に行われていました。
有事に際しての対応を目の当たりにし、会社に対して背負っているものを肌で感じることができました。その時に非常に感銘を受けた覚えがあります。
全く希望しない出向。再度アメリカで生活することに
- その後、Union bankさんに出向されましたね。この異動は、ご自身で希望されたのでしょうか。
いえ、実はこの異動は全く希望していませんでした。(笑)
そもそも私は日本の銀行の事を知りたくて、日本のメガバンクに入行した身です。海外勤務を希望するくらいだったらアメリカでそのまま就職していたと思います。
しかし、会社の人事というものは、そう思う通りには動きません。
当時、三菱東京UFJ銀行では、Union Bankのアメリカのローカルチームに出向者のポジションを持っており、日本人が一人もいない環境でも問題なく業務をこなしていける人材を配置する必要があったようです。そこで海外経験が長い私に声がかかったのだと思います。
- アメリカに職場を移してから仕事内容も変わりますよね。
最初は、アメリカの大手ファンド向けにアンダーライターという仕事を担当していました。具体的には、営業が案件を取ってきた時、ローンを審査に通すための財務分析やストラクチャリング、インタビューなどを行う仕事です。日本だと大企業法人担当部署におけるアソシエイト(副担当)ポジション似ていますが、責任と裁量がより大きいイメージです。
当時、この仕事は全く希望していませんでしたが、いざ取り組んでみたら非常に楽しかったですね。財務分析や財務モデリング、会計学やストラクチャリングの基礎は、この時に習得しました。
その後、Union Bankと三菱東京UFJ銀行のニューヨーク支店を合併するという話が出て、その後の1年半はアンダーライター業務と並行して合併プロジェクトにも一部携わることになりました。
- 非常に珍しいご経験だと思います。仕事の内容も楽しかったのでしょうか。
Union Bankでの経験も楽しかったですが、私は中小企業向けの法人営業の仕事が今でも一番好きですね。(笑)
出来れば、茨木や恵比寿のような国内法人営業拠点で泥臭い営業をまた担当していたかったな、、、と思います。
「日本の中小企業の発展に貢献する」花形のキャリアを捨てて嶋氏が選択した道
- J-STARに転職されたのは、Union Bankで3年ほど勤務されてからですよね。なぜ転職されたのでしょう。
当時の銀行でのキャリアが、自分が描いていたキャリアとは異なったからです。
あの当時、転職をせず、三菱東京UFJ銀行にそのまま在籍していれば、ニューヨークやシンガポール、ロンドンなどの海外拠点か、アユタヤ銀行など海外子会社を中心に、国際部門のキャリアを歩むことになったと思います。
メガバンク的には花形のキャリアかもしれませんが、自分のやりたい仕事ではありませんでした。
- 当時は、どのような仕事に興味があったのでしょうか。
元々、日本の経済や銀行に興味があってメガバンクへ入行したので、日本で仕事をすることに興味がありました。その中でも、中小企業向けの法人営業の経験から、「日本の中堅中小企業の発展に貢献できる仕事」に就くことに拘りがありました。
- J-STARはまさに中小企業への投資を得意としたPEファンドですよね。
そうですね。
転職活動を通じて、他のPEファンドやコンサルティングファーム、M&Aアドバイザリー会社などの方々とお会いしましたが、J-STARが最も日本の中堅中小企業に最も貢献できる企業だと感じました。
ファンドビジネスに興味を持ち、PEファンドへ入行される方が多いと思いますが、私に関しては、ファンドビジネスにこだわりがあったわけではなく、中小企業向けの支援に興味があったのです。
本質的には「キャラ立ち」が大事
- アメリカに在住されていたことと思いますが、どのような経緯で選考に進まれたのでしょう。
J-STARの場合は、日本の人材エージェントから紹介を受けました。当時はまだアメリカ勤務だったため、日本に帰国している間に詰め込み的に面接を受けました。確か1週間で9人の方と面談を行ったと思います。
- 1週間で9人ですか。非常にタフな選考だったと思いますが、どのような点が評価されて入行するにいたったのでしょうか。
私の感覚なので正しいか解りませんが、「多様性」「主体性」「やる気」「対応力」が評価されたのではないでしょうか。ファンドで働くにあたり、この4つの要素のどれが欠けて仕事は務まりません。
私がJ-STARに入行したころは、メガバンク出身の人間はいませんでしたし、英語を話せる人材も少なかったのです。そのため、特に人材の多様性という観点で貢献できるのではないかと判断されたのだと思います。
あと、本質的には「キャラ立ち」が重要です。J-STARのメンバーからの私の印象として「メガバンクでアメリカに出向しており銀行内のキャリアもそこそこ順調そう。なのに、いきなり銀行を辞めてファンドで働くと言ってくる奴って面白いよね。」とイメージしやすいキャラであったことも多かれ少なかれ採用に影響しているのだと思います。
おわりに
いかがでしたでしょうか。
本コラムでは、嶋氏がどのようにしてJ-STARまでのキャリアを歩んできたのか、語っていただきました。「日本の中小・中堅企業へ貢献したい」という想いの元、J STARに転職されたことが伝わったのではないでしょうか。
後編では、泥臭いファンドビジネスの実情から、求められるスキル・マインドセット、J-STARの採用に関してお伺いしました。
ぜひご覧ください。
また、J-STARは現在採用活動を行っております。本コラムを読んでご興味がある方はぜひご相談いただければと思います。
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