はじめに
レゾナンスインタビューコラム、第2弾です。 前回は日本IBM→野村證券への転職経歴をエピソードと共にご紹介しました。
コラムの前半では、野村證券を辞職した後、起業して現在に至るまでをプライベート含め、赤裸々にお話いただきました。後半は前田氏流の人との関わり方や面談方法をご紹介しています。
現在、転職をお考えの方や起業をお考えの方、将来のキャリアプランについて悩んでいる方はぜひ参考にしていただければと思います。
ぜひご覧ください。
本記事に登場いただいた前田氏にご相談したい方はこちらのボタンからご連絡ください。
震災をきっかけに起業を決意。初めはIT事業を立ち上げた
―前作では起業への決意をお聞きしました。どのような事業をするかは決めていたのですか?
野村證券を辞職した直後はどのような会社を作るかというビジョンは特になく、1年間週4・5程度ホームパーティーを開催していました。
しかしホームパーティーはビジネスにはならないので、別で売上を立てないといけません。辞職して約1年半後、ITコンサルタントやエンジニアなど今まで関わってくれたメンバーと共にIT企業を立ち上げました。
―初めはIT企業を立ち上げられたのですね。どのような事業を行っていたのですか?
当初はiPhoneアプリの作成を行って、1つあたり300~400万円程の収益を得ていました。その後はスマートフォン向けのウェブサイトを作るといった事業を3年間ほど行い、その後人材事業を始めることになりました。
―人材事業を始められたきっかけは何だったのでしょうか?
ある時、プライベートで友人から転職の依頼を受けたことがきっかけです。
当時、交流があった某企業の社長が秘書を探していたので、その友人を秘書として紹介してみたのです。そこで双方の希望がマッチングし、友人は無事採用されることになりました。
プライベートの延長上で初めて人材紹介の仕事が成立した瞬間でした。
この時に人を企業へご紹介することをフレンドリーに経験したことで、楽しさを見出したと同時に、ビジネスになり得る確信を持ちました。その後、人材紹介事業に力を入れたところ、IT事業の売り上げを1年程度で上回ったのです。
―紹介先はどのように集めていたのでしょうか?
野村証券時代からのホームパーティーの開催や、IT事業で様々な企業の社長からアプリ開発の依頼を承っていたことで人との繋がりが多くあったので、案件には困りませんでした。
初めはプライベートで知り合った方からのご紹介から広がっていきましたが、徐々に候補者様の案件ニーズに応えるために、営業を始めました。
幅広い案件は多様な人脈から
―現在はどういった紹介先が多いのでしょうか?
メガベンチャー企業や上場手前の会社が多いです。具体的には、グノシーのような予算豊富な成長途中にあるメガベンチャー企業や名前は知られていないが急成長中のグローマス社やエッグフォワード社などです。
―なるほど。戦略コンサルティングファームへの転職支援実績もありますよね。
金融機関に勤めていた時からプライベートで交流があったコンサルタントから「いい人いない?」と聞かれ、そのまま案件になっている形です。
同年代で幅広い業種のつてが多くあるため、同年代達はマッキンゼーやボストンコンサルティンググループのパートナーになっていたり、様々な業種で企業の経営陣になっている場合が多いため、案件にも繋がりやすいです。
―前田さんの場合は、各会社とのプライベートのパイプが強みのような気がします。
そうかもしれません。私の場合は友人がPEファンドに転職することで案件を開拓してくれているケースが多くあります。PEファンド案件も、PEファンドに転職した友人から「紹介して欲しい」と言われたことで、紹介先の案件になっています。
IBM時代から15年間で会った人数は約2万人
―年間で何人ほどの方と面談されているのでしょうか。
23歳や27歳・28歳・31歳あたりは年間200回以上パーティーをしていましたから、1回20名前後で15年間で2万人程は会っているのでは?
―プライベートでの人脈も幅広いですよね。
Facebookのアカウントは2つ持っていて、友達の数は6500人です。そのためプライベートでの知り合いは5000人~6000人ですね。ただその中で密にやり取りをしているのが500人〜600人くらいです。
―500人も友人がいらっしゃるのですね。
友人に恵まれることができたのは野村証券に在籍していたおかげです。野村證券にいた頃は、毎日定時上がりで残業がなく、プライベートの時間が多くありました。
勤務時間は17時に終わるため、毎日18時には帰宅していました。家で準備をして、19時〜23時までのホームパーティーで手料理を振る舞い、終わった後はすぐ寝る生活を約2年間していました。 そういった生活が出来ていたことは、今になって考えると、結果的に多くの友人ができたので感謝しています。野村証券では仕事以外の時間で多くの人たちと接点を持てたことが大きかったです。
特に20代後半からはお金も時間も増えますので、そういった意味では非常に有難い3年間を過ごさせてもらえました。
転職支援では好かれないと意味がない
―現在転職活動を支援していく上で心がけていることはありますか?
面談でお互いのことを伝え合い、その後Facebookで繋がる等仲良くなることを意識しています。ビジネス上の硬い関係だけだと、信頼感も希薄になりますし、私個人としても転職活動が終わっても、出来るだけ候補者さんとの関係性は終わらせたくないと思っています。
極論、転職支援を通じて自分や会社のスタッフの人たちの“関係人口”を増やしたいと思っています。そのため、好かれないと意味がない。候補者が「案件を紹介してくれてありがとう。」と事務的に言うことのないよう、快く転職活動が出来ることを心がけています。
面談の時のスモールトークの際は自己開示し、飲みに誘ったりもします。
―前田さんは人と関わることが好きなのですね。
はい。とても好きです。色んな方にお会いして刺激を得たいですし、面談の際は飲みに行くこともあるくらいです。
面談の際には「その方とどこまで仲良くなれるか」ということを心がけています。
相手の置かれている環境を第三者目線で正確に把握することで、候補者の方々が気づいていない手段のご提案が出来ます。
あくまで“仕事は人生設計の一つのツール”に過ぎないので、もし人生の目的と希望職種がズレていたら新しい職種の提案もします。
経験を生かして面談をすることは付加価値である
―第三者目線と経験を踏まえた上で、キャリアパスを提案するのですね。
そうですね。人生の目的に沿うなら、希望職種とは異なる職種が良い場合もあります。
例えば、憧れから無意識に「経営人材になりたい・PEファンドファンドへ転職したい」と考えている人は多数いますが、具体的に「何をしたいか」「なぜなりたいのか」を考えている人は非常に少ないです。
経営陣やPEファンドといった職種は周りからの評価は高いので希望職種によく挙がりますが、20代の候補者の方々は「本当にこの仕事が自分がやりたい仕事なのか」ということは分かっていないというのが現状です。
そのため面談する際は、私自身の転職や起業経験から、候補者様の目的に沿った最適なご提案をすることを心がけています。
自分で会社を作った経験もあるため、実務的な視点で候補者様にご提案が出来ることは、実際に面談を行う上での付加価値だと思っています。
―どのようなキャリアチェンジが多いのでしょうか?
Liigaの方々は金融機関・コンサルティングファーム・商社の業界の中でのキャリアチェンジが多いイメージです。
よくあるのは、金融機関からコンサルティングファーム、その後投資銀行部門・PEファンドに進むといったキャリアです。
転職の際は、会計の素養などどんな職種でも使えるスキルを身に着けたり、どのスキルがどの業界で使えるかの紐付けしていくと、自分の強みが分かったり転職の可能性を判断しやすいですね。
―個々のスキルや能力から判断して、合った業界を紹介していくのですね。
はい。特にLiigaの会員の方々は私の友人と転職先が似ていると感じます。そのため、私のデータベースに入っている友人のユースケースからキャリアの方向の可能性を考えます。
例えば、日系コンサルティングファーム→米系投資銀行→投資ファンドといったキャリアパスなど、世の中にあまり出ていないクローズドなキャリアパスを歩むケースです。
―人脈の広い前田さんだからこそこういったキャリアパスが紹介できるのですね。
そうかもしれないですね。友人達と10年以上かけたコミュニケーションを取っているので、同年代の友人達が経営陣になっていて、飲みながらキャリアパスについて話したりします。
「どこの企業が良い」「この企業からあの企業へは転職しやすい」などです。
このように、金融機関、コンサルティングファーム、商社への生の転職者が身近にユースケースとして膨大に存在していることは私のエージェントとしての強みです。
おわりに
いかがでしたでしょうか。
本コラムでは前回の流れに沿って、前田氏の起業後を中心にお話いただきました。
前田氏の独特の経歴と、根底にある変わらない人との繋がりが印象的に感じられたと思います。豊富な人脈を活かした独自の転職支援方法は、人材エージェントの中では珍しいと思います。
転職意思の強い方ももちろん、転職自体迷っている方も前田氏と直接お話することをお勧めします。ぜひお気軽にご相談ください。
次回作ではPEファンドへの転職についてお話しいただきました。次のコラムはこちらから。
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