(前編)マッキンゼー、カーライルを率いた第一人者も共感する独創的な投資ファンド

sponsored by みさき投資

みさき投資は、投資先の経営陣とともに「働く」ことで上場企業の進化を応援する「エンゲージメント投資ファンド」だ。経営陣と敵対しがちな「物言う株主」でもない。『働く株主®』という新たなコンセプトを世に送り出し、投資先企業と、投資家の双方から高い評価を受けている。そうした独自のスタンスに共感する人がいる。元マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社長であり、元カーライル・ジャパン共同代表の平野正雄氏だ。戦略コンサルティングファーム、そしてPE(プライベート・エクイティー)ファンドでトップを務めた平野氏が見据えるみさき投資の未来とは。みさき投資のマネージング・ディレクターである中尾彰宏氏とともに率直な思いをつづるコラムを、前編・後編の2回にわたってお届けする。

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〈Profile〉
写真左/平野正雄(ひらの・まさお)
みさき投資・社外取締役
東京大学工学系反応化学修士、スタンフォード大学工学系経営工学修士修了。東京大学工学博士。 1987年から20年間、マッキンゼー・アンド・カンパニーにて経営コンサルティングに従事。1998年から2006年までは、マッキンゼー日本支社長として日本における業容拡大を推進する。2007年から2011年まで、PEファンド大手カーライル・ジャパンの共同代表。2012年より早稲田大学ビジネススクール教授(現任)。2020年、みさき投資の社外取締役に就任する。
写真右/中尾彰宏(なかお・あきひろ)
エンゲージメント投資 マネージング・ディレクター
京都大学工学部、同大学院工学研究科機械理工学専攻修了。新卒でコーポレイトディレクションに入社し、その後A. T. カーニーでは大手製造業を中心に事業戦略策定・新規事業立案・業務改革などの幅広いテーマに携わる。2017年にみさき投資に参画。投資案件のリーダーとして経営者とのエンゲージメント活動にあたっている。



黎明期の戦略コンサルティング、PEファンド業界へ

中尾:平野さんには2020年からみさき投資の社外取締役を引き受けていただいているわけですが、今の読者世代には平野さんをご存じない方もいらっしゃるかもしれません。まずは平野さんがどういった経歴で今に至るのか、自己紹介をいただけますか?

平野:最も古くまでさかのぼると、元々は理系のエンジニアとしてキャリアをスタートしました。1980年に大学院を卒業し、エンジニアリング企業に就職しています。読者の皆さんは歴史の授業でしか知らないと思いますが、当時はまだ1970年代に起こったオイルショックの影響を引きずっている時代。エネルギー危機を抱えている状態で産業をどう維持していくかという課題に向き合いたくて、エネルギー関連の業界に進むことにしたのです。

転機となったのは1984年。社内の教育プログラムを利用して米国のスタンフォード大学に留学したんですね。その頃になると日本は徐々にオイルショックの問題も克服して、国としての競争力が急激に上がっていました。ジャパン・アズ・ナンバーワンともてはやされていた頃です。米国は逆に停滞期だったわけですが、一方で産業の転換期でもあった。シリコンバレーが勃興し始めた時代と言えば伝わるでしょうか。初代のマッキントッシュが発売された時期です。

既にスタンフォードでもコンピュータが導入されて、今のように1人1台というわけにはいきませんが、タイムシェアリングでアクセス権を与えてもらいました。米国全体が大きくデジタルに移行していく空気感に包まれていたように思います。このビジネスはすごいことになりそうだと直感しました。

ちょうどその頃、絶好調だった日本に進出したい金融機関や投資銀行が大挙してスタンフォードにリクルーティングに来ていたんです。私としても就職当初のエネルギーに対する課題意識はすでにクリアされていたので、次のキャリアを検討しているところでした。その中でも企業の改革や成長支援をおこなっているというマッキンゼーに強い関心を抱きまして、転職することを決めました。米国で台頭し始めていたデジタル化の流れを含めて、産業界の大変革期に企業経営に深く関わる仕事に就きたいと強く思ったのです。

中尾:今でこそ憧れの就職先になっているマッキンゼーですが、当時の日本はまだ戦略コンサルティングという業界自体が黎明(れいめい)期でしたよね。

平野:それで1987年にマッキンゼーの日本支社に入社するのですが、当時はバブル経済たけなわでビジョン系の仕事が多くありました。それが1990年のバブルの崩壊を境目に、企業の再生や改革というテーマに変わっていきます。その後1990年代半ばぐらいから日本でも本格的にインターネットが台頭してきて、また携帯電話が低価格化して急速に普及し始めたりして。ようやく日本も産業の転換期に入っていったという流れです。この間、コンサルタントとして製造業、消費財、通信分野のクライアントをメインに、戦略立案や組織改革、海外展開、M&Aなどさまざまな案件を担当させていただきました。

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中尾:1998年にはマッキンゼー日本支社長に就任されて、2006年までマッキンゼーの成長をけん引してこられた。まさにコンサルティング業界のトップを担っておられた平野さんが、カーライル・ジャパン、つまりPE業界に移られたのも大きな転機ですよね。こちらはどういった背景があったのでしょうか。

平野:コンサルタントというアドバイザー的な立場の醍醐味(だいごみ)を味わいつつ、第三者であることの限界を感じていたことも事実です。もっと直接的に、企業の中に入って成長を加速させたいという思いを持っていました。

株主投資家はコンサルのようなプロジェクト単位ではなく、企業全体を俯瞰(ふかん)して成長を支援することが求められます。それまでとは異なる地平が広がっていく魅力を感じ、PEファンドの世界に移ることになりました。縁あってカーライル・ジャパンに誘っていただき、2007年に共同代表に就任しました。

PEファンド自体は1990年代から存在していたのですが、日本の産業界は保守的なのでなかなか投資の機会を見いだせなかったようですね。米国でも当初はバーバリアン(野蛮人)なんて呼ばれていましたし、日本でも金もうけ目当てのハゲタカというネガティブなイメージで捉えられていました。

日本で最初に起こったビッグイベントとしては、1998年の日本長期信用銀行(現・新生銀行)の破綻があります。アメリカからリップルウッドがやってきて一旦国営化されていた銀行を買い取り、新生銀行として再生支援をおこないました。こういうやり方があるのかと、反発もありましたが当時多くの経済人が驚いたのではないでしょうか。民間でも、2000年代に入って徐々にではありますが中型の企業からPEファンドの事例が生まれるようになり、少しずつ市民権を得ていったという経緯です。

2000年代後半には、リーマン・ショックも起こり、せっかく軌道に乗り始めたPEファンド業界にも大きな痛手を残しました。リーマン・ショックが要因で日本を撤退した外資ファンドも少なくありません。ただ一方で、景気の低迷期は安価に出資できるチャンスでもあります。高い可能性を持つ企業を見極めて着実に投資実績を積み重ねたPEファンドは、その後大きな成長を遂げています。

中尾:いやはや、考えられないほどダイナミックな経歴で、改めて驚かされます。オイルショックの影響冷めやらぬエンジニアリング産業を経験し、シリコンバレーの勃興期の熱をアメリカ現地で感じられ、日本ではバブル崩壊の渦中で多くの企業再生に携われ、さらにはファンドの台頭やリーマン・ショックによる混乱を、PEファンド・金融業界で立ち向かわれた。過去30年における産業の転換点を、常にど真ん中で、ご自身の肌で感じられてきたのですね。

平野:ご縁やタイミングの妙も大きいですが、時代のうねりを感じながら仕事に没頭できたことは幸運でした。気がつけば随分年齢を重ねまして、若い方に自分の経験や知識を伝達できればと思いビジネススクールで教壇に立つことにしたのが2012年です。これからは穏やかに暮らせると思っていたのですが、中神康議さん(みさき投資・代表取締役)にお誘いいただき、いつの間にか役員として関与することになっていました(笑)。

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投資家と経営者の新しい関係を模索するみさき投資へ

中尾:みさきの取締役に平野さんが就任するというニュースは社内には本当に驚きで。これまでも多くの方々に応援をいただいてきたみさきですが、戦略コンサルとPEのトップファームで代表を務められた方の参画は、ちょっと次元の違う興奮がありました。 しかし、私がお聞きしたいのはそこなんです。時代の先端をかぎ分け、肌で感じてこられた平野さんが、なぜ次の挑戦のひとつにみさき投資を選ばれたのか、そこには過去のチャレンジと同様に、何かしら感じるものがあったのでしょうか?

平野:それは、みさき投資がファンド業界の中でも極めてユニークな存在だということに尽きます。申し上げた通り、投資家が大きな存在感を持ち、企業経営にダイレクトにインパクトを与え始めたのは、それほど昔の話ではありません。ただ、その後もいくつかの大きなイベントを経て、企業と投資家の関係性は相当に深まり、成熟してきたといってもいいでしょう。言い換えれば、紆余(うよ)曲折を経ながら株主価値を高めることは経営の基本的なミッションだという認識が日本の経済界も浸透してきたといえるでしょう。

投資家の幅も広がったということです。例えば、プライベート・エクイティーという独自の哲学と方法論を持った投資家が出てきたわけです。また、株式を大量保有して企業に直接提案活動を「モノ言う株主」としてアクティビストファンドも存在感を増しています。また、多様な運用方針を有する機関投資家や空売りなどの技術を駆使してリターンを追求するヘッジファンドも多く存在します。

この中で、みさき投資がユニークなのは、上場企業へのマイノリティー投資を行う一方で、経営者と一体となってともに企業価値を高めていくスタイルを取っていることです。同じアクティビズムでも、経営者とは敵対的に改革を迫るのではなく、むしろ信頼関係を構築してともに改革を進めていくスタイルを志向しており、日本における新しい投資家の在り方を模索するのだという強い意気込みが感じられます。そうした投資の新領域を開拓するという中神さんの情熱や皆さんの起業家精神に感銘を受けまして、何か役に立てることがあればと思い取締役を引き受けさせていただきました。

繰り返しになりますが、みさき投資のアプローチはユニークです。あえて表現するならば、戦略コンサルティングと投資ファンドを融合させたモデルを志向しているといえるでしょう。つまり、非常に精緻かつ体系的な企業分析と成長戦略の立案を行うという意味でコンサルティング会社の質を追求しながら、アドバイザーではなくファンド投資家として大きなリスクを取りつつ、経営トップと向き合ってハンズオンで企業改革を支援していっているということです。

PEファンドとの違いに目を向ければ、PEファンドは原則株式のマジョリティを支配して、絶対的な企業オーナーとして改革を推し進めていくのに対して、みさき投資は上場企業の株の一部しか保有していないわけですから、絶対的な企業支配権は持てません。従って、企業に改革へ踏み出してもらうためには、質の良い提言とともに経営者と深い信頼関係をすることが必須となります。それも、みさき投資という組織レベルだけでなく、個人レベルでも信頼を獲得することが改革の出発点になります。つまり、PEファンドのように資本の論理だけで押し切ることはできませんから、極めてデリケートにして革新的なことをやろうとしているのがみさき投資だと考えています。

中尾:さすが本質をつかれている。最後のポイントは、まさに私たちが一番追求していることですね。みさきが企業の経営を動かす原動力は決して“Power of Capital”ではなく、“Power of Persuasion”であると考えています。ただ、デリケートかつ革新的だからこそやりがいも大きい一方で、難度もべらぼうに高い。そして、いかに本質的な提言が受け入れられたとしても、投資家である以上は結果につながらなければ意味がないという難しさもあります。 平野さんには引き続きみさき投資ならではの特徴や今後の課題についてお聞きしたいと思っていますので、後編もよろしくお願いします。

平野:こちらこそよろしくお願いします。

<後編に続きます>

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