「なんとなく伸びそう」はNG。自らDDして決断を~ 外資投資銀行→CxO転職の光と影Vol.3 じげん・寺田修輔CFO
2019/09/17
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「このままアナリストを続けたら、40-50代になっても同じことをやり続けることになる。これで良いのか」。2015年のある日、シティグループ証券で不動産チームのヘッドを務めていた寺田修輔氏は、ふと金融業界での自身の未来を考え、ある種の“つまらなさ”を覚えた。「もっと意思決定に携わる仕事がしたい」-。事業会社の経営に惹かれた寺田氏は、その後自らの価値を最大限発揮できる場として、じげんへの転職を決意。新天地では、「社会人になって最大のピンチ」をはじめ、さまざまなチャレンジが待ち受けていた。

〈Profile〉
寺田 修輔(てらだ・しゅうすけ)
株式会社じげん取締役執行役員CFO
東京大学経済学部卒業後、2009年シティグループ証券入社。セルサイド・アナリストとして不動産、REIT、住宅、建設業界の株式調査業務などに従事し、2014年より不動産チームヘッド。2016年、経営戦略部部長としてじげんに入社。現在は取締役執行役員CFOとして経営戦略部、経営管理部、情報システム室などを管掌する。

最年少でディレクター。収入激減でもあっさり転職し、“ショボい”自分と決別

「事業会社で3年やって仮にフィットしなくても、まだ30代前半。金融に戻ろうと思えば、戻れる。逆に30-40代まで金融にいたら、出にくくなる。不可逆的でない方を選んだ」。寺田氏は転職理由をこう説明する。シティでは、日本法人史上最年少の26歳でヴァイスプレジデント(VP)となり、その約3年後、同じく最年少でディレクターに昇格。絵に描いたようなエリート街道だが、「事業会社に行く選択は今しかできない」と、その道をあっさり捨てた。

そこまでして事業会社での経験を求めたのは、金融一筋のキャリアに物足りなさを感じ始めていたからだ。当時、既に計1000人近くの経営者と会い、さまざまな事業を分析しつつ資本市場のプロとして自信を深めていた。だが他方で、「金融以外の事業経験がない20代の若造が、経営に意見していた。そんな自分が“ショボい”という感じもした」という。

成長機会と刺激を求めた寺田氏は、約7年勤めたシティをディレクター昇進直後の2016年2月に退職。翌月から早くも、じげんの経営戦略部長として働き始めていた。

じげんへの入社時、給与はシティ時代の数分の一に激減。それでも、「金融業界で報酬に見合う仕事をできている自信は当然あったが、事業会社でもそれができる確信はなかった。下がって当然というか、正直いくらでも良かった」と、納得して受け入れた。「そもそも、金融はたくさんお金が流れている中で働き、たくさん給料をもらう世界。前提が違う」と寺田氏はほほ笑む。 description

最大のピンチでの重圧。二重の苦しさを乗り越えて

「社会人になって最大のピンチだった」-。寺田氏がこう振り返るのは、じげんのCFO・経営戦略部長に加え経営管理部長も兼ねるようになった2017年秋からの、約1年間。この間主に取り組んだのが、経理、労務、法務などいわゆる“守り”の管理機能の再建だ。それまでは経営戦略部長としてM&Aや資金調達など“攻め”の管理業務に専念していたが、経営管理部長も引き受け、管掌範囲が拡大。これにより、組織再建という試練に挑むことになった。

その頃「(守りの管理部門は)組織の状態が決して良好とは言い難いものだった」と寺田氏は明かす。部門内ではメンバーが相次いで退職。「東証一部上場企業を支えるのに相応しいタレントが揃っている」と自負する現在の管理部門からは、想像し得ない状態にあった。状況を打開すべく、寺田氏は組織体制の整備や新規採用に奔走。「前職でもあんなにプレッシャーを感じたことはなかった」と苦笑いする。

「資金調達やM&Aなどは馴染みがあるが、経理など守りの部分は経験していなかった」ことも、時にはハードルとなった。寺田氏のみならず、投資銀行出身CFOの共通課題と言える。まして寺田氏の場合、組織状態が良好でない中で不慣れな分野の意思決定に臨まなければならず、二重の難しさがあった。「前職でレーティングが外れた時もきつかったが(経営管理部長を兼任したての頃と)比べると、大したことはない」。

難題は無数にあったが、寺田氏は「責任感が最大のモチベーション」との思いで一つ一つ根気よく解いていった。その間、信頼できる今の経営管理部長を採用。暗礁に乗り上げていた組織は、約1年をかけようやく軌道に乗った。

タレント揃いすぎのベンチャーには転職するな

投資銀行からベンチャーに移る転職者が増えているが、こうした壁に直面し、乗り越えられない場合もある。寺田氏の周りでも「上手くいかないケースは多い」という。成否の分かれ目は、どこか。

「まず意思決定する力は不可欠」。寺田氏は失敗しないための条件を挙げる。「例えば3年以上投資銀行で働いた人なら、仕事ができるのは間違いない。ただ、仕事ができても、(ベンチャー役員に求められるような)意思決定ができない人もいる」。自らも、転職の前と後では「意思決定の重さが全く違う」と難しさを噛みしめる。

「整備されきっていないベンチャー企業に、本気で飛び込む覚悟があるかも重要」と寺田氏は付け加える。ベンチャーは組織や制度が整っていないことが、“普通”だ。自身は組織再建という試練に直面したが、元々そうした苦労は覚悟の上だった。「最悪の事態も想像して転職した。そういう意味では想定以上のギャップではなかった」と振り返る。

他方で「意思決定の力と十分な覚悟があっても、上手くいかない場合がある」と寺田氏は続ける。1つが、「伸びない企業に入ってしまったケース」だ。

ポイントは、企業の成長が外部環境の変化に左右されにくい構造的なものかどうか。「市場が大きくなりそうだからとか、ベンチャーキャピタル(VC)が出資しているからとか、そんな理由で“なんとなく”成長を期待してしまう人が多い」という。

2つ目の失敗パターンは、「介在価値があまり生まれないケース」。

投資銀行での経験を生かそうと転職しても、「転職先のベンチャーで既にタレントが揃いすぎていると、活躍の機会はあまりない。そういう例をたくさん見ている」と寺田氏は残念がる。

実は、じげんは管理部門の人員増強を進める中、元投資銀行でベンチャー役員を経験した人材から応募を受けることも多い。面接で寺田氏が会う人の中には「典型的な失敗パターンにはまってしまった人も結構いる」という。

転職先は条件絞り厳選。決め手となった“介在価値”

では、寺田氏はどのようにしてじげんを見つけ、選んだか。そこには、したたかな戦略があった。

シティ退職を考え始めた当時、寺田氏はまず転職エージェントに連絡。2つの条件を提示し、会社探しを依頼した。1つ目が、若くても役員になれること。重要な意思決定に携わるために転職する上で、「すぐになれなくても、役員への“道”が見えていること」は譲れない条件だった。

2つ目は、上場企業であること。理由はシティで得た資本市場に関する専門性を生かし、介在価値を最大化するためだ。「資本市場でバリューを出そうとしている会社や、資本市場を活用して成長しようとしている会社ならば、自分が入ることで直接的にインパクトを出せる」と寺田氏は考えた。

ただ、30歳前後で役員になれる上場企業は、「かなり限られていた」という。「条件に合う良い会社がなければ、金融に残るしかないか」と諦めかけていた2015年8月、寺田氏はじげんCEOの平尾丈氏と出会った。 description

初対面の平尾氏、そしてじげんという会社が抱かせたのは、「強烈に良い印象」だ。「前職で数多くの経営者と会ってきたが、事業家、商売人としての才覚はその中でも際立っている」と寺田氏は平尾氏を評する。

また平尾氏と話すうちに、「思っていた以上に介在価値が出せる」ことも明らかになっていった。

じげんは経営戦略の中核に据える「ライフメディアプラットフォーム」を拡充するため、当時からM&Aに積極的だった。このため本来は財務・投資を戦略的に推し進める必要があったが、「私が入る前は戦略を立てられる人がいなかった」-。

総じて「財務・投資戦略が弱く、資本市場とのコミュニケーションも上手くいっていない」と感じた寺田氏は、「自分がやりたかったことを実現できるだけでなく、明らかにプラスの効果を生み出せる」と自信を深め、一気にじげんに惹かれていった。

もちろん、「伸びない会社に入ってしまうリスク」もゼロではなかった。寺田氏はアナリストとしての知見や人脈を生かし、約半年をかけてじげんのデューデリジェンス(DD)を実施。「経営戦略がタイトに構造化され、オペレーション力もある」と分析した上で「少なくともあと3年は伸び続ける」と断じ、入社を決めた。

M&Aでも活きるアナリストの眼力

入社前にセルサイド・アナリストとしての“眼”を存分に生かした寺田氏だが、実際にM&Aや資金調達に携わるとなると、投資銀行部門(IBD)出身者が得意なイメージが強い。前職での経験は、どう生きているのだろうか。

「シティで上場企業を対象にレーティングしていた時と、じげんでM&Aの投資判断する時は基本的に頭の使い方はあまり変わらない。特に会社のことを調べてバリューを測るプロセスは、似通っている。DDの契約の見方など細かいことは初め分からなかったが、弁護士や税理士といった専門家を頼ることで知識を補填できるため、その部分で苦労はない」と寺田氏は言い切る。

ギャップがあったとすれば、「アナリスト時代はバリュエーションが所与のものだったが、今は交渉で勝ち取るもの」である点。「ただ、そこはこの仕事の一番の醍醐味だと思うし、凄く楽しんでいる」とほほ笑む。

組織再建や未経験業務への挑戦など、荒波をくぐり抜けてきた寺田氏。2018年6月に取締役執行役員CFOとなり、No.2のポジションに立つ。足元で力を入れているのが、事業部門支援を拡充するための、管理部門のさらなる強化だ。

例えばM&Aでは、DDや交渉の進め方などに関し、経営戦略部が事業部門を全面支援する体制を構築。M&Aの実務上のハードルを低くし、「M&A、新規事業、既存事業の増員など収益を伸ばすための選択肢をフェアに比較できるようにしている」という。

今後はこうした仕組みをM&A関連だけでなく、管理部門が担えるあらゆる業務に広げ、各事業部の責任者が収益拡大に専念できるようにしたい考え。「それなりに人は育ってきたが、やるべきことはたくさん残っている。まだ山の3-4合目、一歩一歩登っていくだけ」と先を見据える。 description

【「外資系投資銀行→ベンチャーCxO転職の光と影」シリーズ】 第1回「初めはカオス。カルチャーすらなかった…」マネーフォワード・金坂直哉取締役執行役員の場合
第2回「元将棋少年が出会った運命企業。入社したら苦難の山?」HEROZ・浅原大輔CFOの場合

コラム作成者
Liiga編集部
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