ヤフー日本法人第一号社員は楽天副社長執行役員。立ち上げの仕事は興奮がある
2020/10/30
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#「日本第一号」たちの未来志向
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(写真:楽天提供)

海外企業の日本第一号社員経験者を紹介する連載「『日本第一号』たちの未来志向」。第5回は、楽天副社長執行役員の有馬誠さんを取り上げる。クラボウ、リクルートを経て、当時日本ではインターネットという言葉があまり知られていない状況で、ヤフー日本法人の第一号社員となった有馬さん。そんな彼は事業立ち上げフェーズにおける強い興奮と、それが落ち着いたときの飽きの感覚を繰り返してきたという。【斎藤公也】

〈Profile〉
有馬誠(ありま・まこと)
楽天副社長執行役員。
1980年京都大学工学部卒業後、倉敷紡績(現クラボウ)入社。87年リクルート入社。情報通信部門の部長などを経験し、96年ヤフーに第一号社員として入社。その後、グーグル日本法人の代表取締役などを経て、2017年から現職。




 

アメリカで、インターネットビジネスの台頭を目の当たりに

――クラボウと聞くとメーカーのイメージが強く、今の有馬さんのキャリアとは遠く感じます。

有馬:学生時代は化学を専攻していましたが、コンピューターへの興味は強かったです。コンピューターは今後広がると確信していたからです。

クラボウに入社しましたが、当時立ち上がったばかりのコンピューターを使った新規事業を手掛ける社内ベンチャーに関わることになりました。その立ち上げ責任者の「事業にかける情熱」に触れたからです。それ以来、コンピューター関係のキャリアを歩むことができたため、キャリアの原点といってもいいと思います。

――クラボウからリクルートへ転職したと聞きました。

有馬:1987年にリクルートに移りましたが、一貫してコンピューターや通信の仕事を通じてキャリアを蓄積してきました。就職情報誌を発行していたリクルートにとって、コンピューターや通信分野は、新規事業でした。

新規事業を開発するには、まずアメリカから学ぶしかないだろうと考えました。アメリカで目の当たりにしたのは、台頭しつつあるインターネットビジネス、メディア広告事業でした。中でもヤフーは、その象徴のような存在で、私は、こうした新規事業を日本で実現するにはどうすればよいかと考えていました。

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(出典:MarkeZine 撮影:慎芝賢)

「ヤフー日本法人での仕事こそ私の仕事だ」と興奮し、即断

――そういう状況の中でヤフー日本法人の第一号社員になる話が来たのでしょうか。

有馬:はい。そんな時に、ソフトバンクと合弁でヤフーの日本法人を立ち上げるため、「広告事業の責任者として来ませんか」と、付き合いがあったヘッドハンターから声をかけてもらいました。ほかの企業からもお誘いはありましたが、アメリカでインターネットビジネス、メディア広告事業の広がりを見ていたので、迷わずヤフーに移ることを決めました。

――「迷わず決めた」ということですが、多少はちゅうちょしたのでしょうか。

有馬:ちゅうちょはありませんでした。むしろ第一号で立ち上げから関われることは大きな魅力でした。私に求められていたミッションは事業立ち上げ、特に営業面の推進だったため、これまでの経験がフルに生かせると考えました。

海外資本の日本法人といえば、あまり権限がない場合もあります。ですが、ヤフーの日本法人は、ソフトバンクが60%出資すると聞いて即断しました。主導権を握って事業を展開できるからです。

学生時代など、仕事を始める前の段階では将来日本第一号になることは思い描いていたわけではありません。ですが、父親が経営者だったので、いつかは経営者になりたいと思っていました。また、新規で事業を立ち上げることにも強い関心を持っていました。安定した環境で安泰を望むことはなかったですね。むしろ、ヤフーの日本法人の仕事こそ、私の仕事だと、興奮しました。

大企業で身についてしまった「さび」が落ち、自分で解決する能力が再び磨かれた

――日本第一号になる前までの職場では、不満や消化不良だったことなどはありましたか。

有馬:まず、クラボウ、リクルートいずれでも、本当にいい仕事をさせてもらいましたし、大切にもしてもらったので、今でも本当に感謝しています。

ですが、徐々に自らの独立願望のような思いがわき上がってきたのです。クラボウやリクルートに入ったときも、立ち上げ期の事業に関わっていました。その興奮が少しずつ冷めてきて、どこか物足りなさを感じていたかもしれません。事業が安定志向のフェーズに入ると、つまらなく感じるタイプなのだと思います。

――ヤフーで過ごした中で印象的だったことは何ですか。

有馬:日本法人の代表を務めた井上雅博さんとの出会いがその後のキャリアに大きなインパクトがありました。その頃、日本では、インターネットビジネスをまだ誰もやったことがありませんでしたが、井上さんは、インターネットビジネスに精通していました。

ご自分で勉強したり、アメリカのヤフーの創業者であるジェリー・ヤンさん、孫正義さんらから学んだりしたことも多いのだとは思いますが、とても詳しかったです。

努力家だった井上さんのそばにいたことで、随分働くことになりました。ですが、個人的には、大企業に長い期間在籍して身についてしまった「さび」が見事に落ちたという感覚がありました。

――「さび」とはどういう意味ですか。

有馬:リクルートでは比較的早い段階からマネジメントに関わることができました。ですから、ある意味、メンバーがやってくれることも多かったのです。

若くしてマネージャーになるというのは、最初はうれしかったです。ですが、だんだん暇だなと感じるようになりました。自分を磨く機会が少なくなっていたからです。マネジメントという意味では学ぶことは多いです。しかし自分で物事を解決する能力や、自分自身で仕事をする能力とは異なります。

ヤフーでは誰もやってくれないので、自分で全部解決するしかありません。自分で解決する力が再度磨かれたというか、蘇ったと感じました。そのためか、交渉力やマネジメント力も上がったと思います。

――ご自身は第一号社員に「向いていた」と思いますか。

有馬:明らかに向いていたと思います。やはり起業志向を持っているとか、立ち上げのような興奮のある仕事が好きだったからです。

安定志向のある人は第一号社員に向いていない、とは限らない

――日本第一号に向くのは、どういう人だと思いますか。

有馬:「社長」に求められる資質みたいなものが必要になってくると思います。全方位への関心、興味と処理能力、創造力、判断力でしょうか。また、起業してみたいと思っている人が、まずは第一号社員として経験してみるというのはありかもしれません。

また、安定的な仕事というのはどうも退屈だな、飽きっぽいなと思う人は向いているかもしれません。

向いているかどうかの判断は、自分の中の安定志向の割合によるのではないでしょうか。それが、50%を超えるような人は向かないかもしれないですね。

ですが、第一号社員と一言でいっても色々な第一号社員がいます。大手企業のジョイントベンチャーのような場合と、全くゼロから立ち上げる場合とでは、その会社の安定性も異なると思います。自分の思考と能力、専門性とも掛け合わせて、自分に向いているのかどうかを判断しないといけません。

――有馬さんにとってヤフーは最適な環境だったのですか。

有馬:そうでしたね。私の場合、7割ぐらいは一発当てたいと思っていた。しかし安定志向の度合いも、多分3割くらいあったと思います。ソフトバンクというバックがあって、極端に言えばその新規ビジネスがうまくいかなかったとしても、ソフトバンクで何か仕事があるだろうという安定志向を満たす条件が整っていたと思います。

ですから、「安定志向のある人は向かない」と一言で言ってしまうのは少し乱暴だと思います。

――それでも「日本第一号に自分は向かないのではないか」と感じたことはありましたか。

有馬:初めの数年間は、あまりにやることが多くて、自分が直接関わって進められている仕事は、ほんの少ししかないと感じていました。

もちろん優先順位をつけてやっていることですので仕方のないことですが、自分が関わることができないもどかしさはありました。ですから、自分では不完全燃焼でした。

ただ、業績が拡大して、それなりの評価も受けて、実際ヤフー自体が立ち上がっていって、少しずつ「あれを全部こなさなくてもよかったんだ」と、ようやく思えるようになってきました。

第一号社員というのは、本当にやることが多いです。やるべきことと、やらないほうがいいこと、やってはいけないことなど、分別をして、全部できなくてもいいと自分に言い聞かせないと、つらいと思います。ここまでできたら十分だ、これはやらなくてもいいという割り切りのできるような人のほうが向いているかもしれません。

私はそれがなかなかできなくて、たまに優先順位を間違いもしました。何よりも自分の中で不完全燃焼だったと思います。ですが、そういうことを少しも思わない人もいるでしょう。そういう人は、私より第一号社員に向いているかもしれません。

また、立ち上げ期の興奮が少し落ち着いた頃に「飽き」を感じてしまいました。やはり自分は立ち上げ、または事業転換期に力を発揮するタイプなのだと思います。

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(写真:楽天提供)

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(2)「海外の面白いサービスがいつ日本に来るかウオッチしていた」。東大時代から選択肢にあった「第一号」
(3)「Quora日本語版のトップライターになってしまった」。プロダクトへの愛で引き受けた日本第一号
(4)欲しいのは日本事業立ち上げで「何度も成功する自信」。Google卒業後、2度一号社員に挑む男の真意
(5)ヤフー日本法人第一号が繰り返す「興奮」と「飽き」。変わらぬ、事業立ち上げへの強い関心
(6)“無名”のフードデリバリーを支える、Twitter・Apple出身の31歳。大企業では「自分のもたらす影響力」に満足できなかった
(7)大手テレビ局員として抱いた「情報発信という特権」への違和感。TikTokに見出したメディアの未来
(8)自ら売り込んで日本第一号に。ゴールドマン出身の金融マンが燃やし続けた「ものづくり」への執念
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コラム作成者
Liiga編集部
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